買ってきたカルボナーラのレトルト、量が少なくてがっかりした。レンジでチンするためのプラスチック容器(タジン鍋型)にルーを入れてみたら、おい、こんなものかよ、となった。ゆであがったパスタに対して明らかに足りない。
冷蔵庫に牛乳とスライスチーズがある。それしかない。タマゴさえない。
ほかほかのパスタとチンする前のルーをほっぽらかしにして、近所のスーパーに走って、ハーフのベーコン(減塩)だけ買ってダッシュで帰宅し、てきとうに切ってルーに入れた。
ついでにスライスチーズを1枚、手でちぎって、これもルーにいれた。
最後にルーに、牛乳を1ドボ(単位。音が一瞬ドボって鳴る程度)入れて、まとめてチン。
かさまししたルー。
パスタにかけて食う。
ベーコンの塩味とチーズのコクが牛乳によってさらっさらに薄められて、パンチ力のダウンしたちょっと健康そうなカルボナーラを普通に食して、あとはビールでよくわからなくすることで無事一日を終えた。
こういうときだ。
こういうとき、ああ、自分が「計算尽くの料理」をできたらなあ、と、ほんとうに切なくいたましく思う。
世においては、尊敬する料理人として、「冷蔵庫の中身を見てすかさず何かを作れる人」というのがよく挙げられる。
ぼくは、そこまでじゃなくていい。
だって基本はレトルトでいいんだ。
ただ、とにかく、つい買ってしまう各種のレトルト……カレーとかパスタ、麻婆豆腐……に、「何か言いようのない不安」を覚えたある晩夏の夜、冷蔵庫で出番もないまま死んでいこうとしていた残りものと、ダッシュで4分くらいで買い足せる下ごしらえも何もいらない切れっ端みたいな食材を使って、レトルトがちょっと豪華になって少し笑顔になる、ついでに洗い物は増えない、みたいな料理が、あとちょっとだけ上手にできたら、ぼくは本当に幸せを手にしたと言えるのではないかと思うのである。
ああ、あのカルボナーラが、もう一声! うまくできていたらなあ……。
雑にうまそうなめしを作るひとたち、ぼくはあなたになりたかった。
「料理医」と聞き違えられたとき、「料理もしますけど病理医です。」と答えられる、そんな人生がよかった。