2017年9月12日火曜日

病理の話(120) 病理医ヤンデルと教科書のおすすめ

よい教科書というのが世の中にはいっぱいある。

ああ、この一行目は、読んだあなたにお得情報を一つももたらしていないな。

なぜなら、自明だからだ。そりゃそうだろうと言われてしまうだろう。知ってるよ、と。

けれど、あえて強調しておきたい、「よい教科書はある」。

医療現場で働いているとそれを忘れてしまうから。




「学術論文を読んで最新の知識をきちんと集めなければだめだ! 論文は批判的に読め! 書いている内容を盲信するのではなく、どれだけ信頼できる情報なのかを吟味しながら読むのだ! 薬をひとつ使うにしても、手術をひとつ行うにしても、すべては論文からはじまる!」

「座学だけでもだめだ、手先から知恵を吸収するのだ! 実践こそは最高の教師である、頭でっかちになるな、手技を身につけろ、現場の感覚を研ぎ澄ませ、クリニカル・パール(臨床現場で役立つ豆知識)を探して回れ、ピットフォール(落とし穴)に気を付けるのだ!」

たいていの医療者は、なんとなくこういうかんじで、医療をやっている。やることがいっぱいある。実に忙しい。

ぼくらはもう、学生ではない。

机上の空論では困る。

実践的にレベルアップしていかないといけない。

いろいろな理由で、学生時代にあれだけ使っていた「教科書」を読まなくなる。

代わりに論文を読む。あるいは読まないで実践に飛び込む。




「論文」と教科書はどう違うか?

原則的に、論文1本に対しては、テーマが1つ設定されている(あくまで原則)。

論文ではたとえば、「ピロリ菌は胃がんの原因となるだろうか」みたいな検討を行う。

「塩分を多くとると胃がんになりやすいか」なんてのもある。

「ある薬Aは胃がんによく効くか」。

「胃がんにおける遺伝子の変化を調べた」。

書き方はいろいろだ。統計学的な処理のレベルもさまざまである。解析方法はMethod(メソッド)と言うが、メソッドも多種多様。患者をいっぱい集めてきて調べた、という論文もあれば、あるタンパク質や遺伝子に着目してラボで実験をした結果、という論文もある。

基本的に、「何かひとつ」が書かれている。


これに対し、教科書というのはどのように書かれているか。

まず、教科書の著者というのは、「すでに偉い」。論文などをいっぱい書いて、業界で偉くなった人が書いたり編集をしたりする。

多くの論文をチェックする目を持った著者が、「もっとも信頼できる」と思った論文を集めて、その内容をストーリーとして紡ぐ。

この「ストーリーとして紡ぐ」に、教科書としての良さがある。

たとえば、ある教科書には、「胃がんの原因には食事とピロリ菌と加齢とその他もろもろがあるのだ」と書かれている。

この一行を書くために、平均して20本くらいの論文が「参照」されている。

いずれも厳選された20本だ。世界各国で読まれ、検証されたものを用いる。論文は出版されたあとに、世界中で批判的に読まれる。「ほんとかよ」「うそじゃねぇだろうな」「おおげさなのでは」「まぎらわしくはないか」。

そういうフィルターを通過した、本当に役に立つ論文が、偉い人によって選ばれる。そして、紡がれる。



論文は確かに最新の知識である。しかしその知識は、のちに世界から非難されるかもしれない。どれだけ信頼してよいかもわからない。

最新がよいとは限らないのだ。

それよりも、多くの論文が時間とともに吟味された時点で、

「今、世界中の論文を読んでみたらさ、この領域についてはこういうことでいいみたいだよ」

とまとめた本を読んだほうが、役に立つ場面がある。

それが、医療界における「教科書」である。



お察しの通り。教科書というのは、編者や著者の能力によって、良くも悪くもなる。

どの論文を選んだか。どこを使える情報として抽出したか。レアではあるけれど教科書に載せてもらえると助かる情報。典型的なのでさまざまなイラストと共に説明して欲しい内容。

同じ分野を扱っていても、教科書が違うと、まるで理解のスピードが変わる。




……以上の話を医学生、さらには研修医にすると、

「でも教科書読み比べるヒマなんてないっすよ」

「そもそもそんなに教科書読める時間がないです」

「ていうか教科書高くて買えないです」

という答えが返ってくる。必ず返ってくる。

ぼくは幸いというか不幸にもというか、患者を相手にしない(検体を相手にする)仕事をしており、つまりは医療者を相手にする仕事をしている。クライアントは臨床医であり、医学生は言ってみれば取引先の新入社員にあたる。

だからサービスをするのだ。

自分で教科書を買って読み比べる。そして一番よかったやつをおすすめする。

金? たいへんだよ、そりゃもうすごいかかる。けどいいんだ。そこに金をかける人間がいないと、教科書を読む流れは広がらないから。



病理医ヤンデルと教科書のおすすめ: https://togetter.com/li/956911



今回の記事、「病理の話じゃないじゃん」と思った?

病理というのは「病の理」と書く。つまりは理を追求する仕事だ。これはつまり学問ということだ。

病理医ってのは、医療現場の学問を統括する立場でいたらいいんじゃないかな、と思う。これは完全に個人の意見であり、病理医みながそう考えているわけではないけれど、ぼくはもう信じている。病理医が勉強して、病理医が中心になって医療現場に学問を広めるくらいでちょうどいいんだ、忙しい医療現場で座学のプロをやるというのはそういうことだろう、と思っている。