2018年2月13日火曜日

病理の話(169)

ある教科書の原稿を書いている。いくつかの役割を与えられているのだが、今書いているのは、「教えて! 病理医!」みたいな単元だ。

「内視鏡医が『これは9割方、がんじゃないな』と思った病気を念のために検査してみたら、がんだった。こんなの、ぱっと見はがんに見えないのに……。どうやって見分けたらいいでしょうか! 教えて、病理医!」

こんな質問がいっぱい載っている。

とても難しい原稿だ。必死で頭を絞り上げて書く。入力しては消し、入力しては消し。

なぜ、難しいと思う?

それは、内視鏡医が「難しい」と言っている問題を、病理医だったら「簡単に」答えられる、なんてのは、ありえないからである。

病理は直接細胞を見る部門なんだから、がんの見極めなんてカンタンでしょう? とんでもない、内視鏡医も病理医も、やり方は違えど、結局おなじ「がん」という病気をみて考える部門なのだから、一方が難しいと思ったらもう一方だって難しいに決まっている。

ずいぶんと「難しい」ということばを書いたが、今日はこの、「診断が難しいとはどういうことか」について説明をする。






医者が診断に悩むパターンというのがいくつかある。さまざまな病気ごとに悩みの種類も違うのだが、今日は話を簡単にするために、話題を「できもの」に限定しよう。

たとえば胃の中に何かできている。小さなでっぱり、へこみ、かたまり。

これは放っておいても問題ない病気(良性)だろうか? それとも、治療しないといずれ命にかかわる病気(悪性、つまりがん)だろうか?

できものの良悪を見極めるために、医者はさまざまな知識やデバイスを駆使するわけである。駆使して、何をするかというと……。

「正常の状態とのかけはなれ具合」を評価する。




水族館の水槽を思い浮かべて欲しい。

魚の大群が泳いでいるとしよう。

その中に、水族館の飼育員の人が、潜水服を着て潜ってくる。

これはもう誰が見ても「あっ、人だ」とわかる。あきらかに異質なものが混じったことにすぐ気づく。

魚ばかり泳いでいる中に人という「異なるもの」がまじっていれば、人はその違和感に気づきやすい。



正常の胃粘膜の中に、そこだけ明らかに質感の違う、たとえば盛り上がっているとか、へこんでいるとか、色が違うとか、何か血が出ているとか、そういう場所があれば、胃カメラで覗いている人はすぐに気づくことができる。

病変を見つけるというのはそういうことだ。「正常とかけはなれた部分を探す」。



逆に、イワシの大群の中にニシンが1匹だけ混じっていたとすると。

水族館見学をしている幼稚園児たちはおそらく気づかないだろう。まあぼくでも気づかない自信はある。

周りと比べて、あまり姿がかけ離れていないものが混じっていると、まず、気づくことができない。「かけはなれが少ない病変は見出しにくい」。



イワシの大群の中に小型のサメ(そんなのいるのかどうか知らんが)が混じっているとさらに難しい。

ニシンが混じっていてもイワシの生命は脅かされないだろう。

しかし、サメが混じっていると、そのサメは次第に周りのイワシを食い尽くしてしまうかもしれない。

「かけはなれの度合いだけではなく、かけはなれの種別にも注意を払う」ことが必要なのである。

イワシの中のニシン、は、「良性のできもの」。

イワシの中のサメ、は、「悪性のできもの」と考えればよい。





内視鏡でも病理のプレパラートでも、ぼくらが探しているのは「かけはなれ」である。かけはなれの度合いが大きければ、病変を発見することが容易となる。さらに、かけはなれの内容を見ることで、「こいつはこのまま放置しておくと周りを食い尽くすかもしれないぞ」と推測することができる。

かけはなれ、のことを、医学用語で「異型」とか「異型性」と呼ぶ(ちなみに「異形成」はまた別です)。

医療系の学生は組織学や病理学の授業中に「細胞異型」という言葉を学ぶ。しょせんは細胞の専門用語であって、あまり意味まで考えずに、「細胞に異型があればがん」みたいにさらっと聞き流す。

しかしこのことばの成り立ちをよく見てみると、「異なる、型(タイプ)」と書いているにすぎない。つまりはかけはなれのことなのだ。

正常の胃粘膜に比べると丈の高さが異なっている、とか。

正常の胃粘膜に比べると粘膜のざらつき具合が異なっている、とか。

色調が違うとか。ボリュームがすごいとか。

異型性を評価することで、内視鏡医は病気を見つけ、がんかがんでないかを判断する。

病理医もいっしょだ。正常の胃の細胞に比べると細胞の核が大きい、核の中のクロマチンが濃い、核の形がいびつだ、細胞質の量がへんだ、これらを細胞異型と呼んで評価しているにすぎない。

着目点こそ違えども、ぼくら医療者はみな、「かけはなれ」を診断しているのである。




「内視鏡医が『これは9割方、がんじゃないな』と思った病気を念のために検査してみたら、がんだった。こんなの、ぱっと見はがんに見えないのに……。どうやって見分けたらいいでしょうか! 教えて、病理医!」

この質問は、読み替えると、こうなる。

「イワシの中のニシンだと思ってたら、イワシの中のサメだったんですけど、ぱっと見はどっちも魚じゃないですか。どうしたら見分けられますか、教えて、病理医!」

うわぁ難しいなあ。



ニシンとサメの違い。

サメとイワシの違い。

これらを抽出する。

「イワシの中の飼育員だったらすぐわかりますね。イワシの中のニシンは見極めにくいですけれど、まあ問題ないと思いますよね。サメだと困りますねえ。普通はもっと、大きいですもんねえ。じゃあ、サメに気づくためにはどこに着目すればいいですかね……。魚の遺伝子を調べればすぐわかる? うん、そうですね。でも、毎日何百個という水槽をみているみなさんが、毎回水槽に潜って魚をとっつかまえて遺伝子検査までするのは、手間も労力もかかるし、お金だってかかりますから難しいですね。

だったらどうしましょうか。

背びれ? なるほど。

歯? そうかもしれません。

これらの違いを見つけるために、胃カメラの写真のどこに注目するのがよいでしょうか……」



この原稿は極めて難しい。さかなクン並みの知識が必要だし、さかなクンくらい人当たりがよくないと読んでもらえない。書いては消し、書いては消し、となっている。さかなクンは偉いなあ。今日は魚の話をするつもりではなかったのだが……。