ちらりとのぞいたタイムラインは、「都内で雪が降っている話」でもちきりだった。上から順番に延々と再生しているiTunesからは「若者のすべて」が聞こえてくる。
今書いているこのブログ記事の掲載はきっと10日後くらいになる予定なので、これを読む人はもう、都内の雪の話なんかとっくに忘れているかもしれない。
札幌の気象予報士が、「湿った雪がたっぷり降った次の日は気温が下がりやすい」とテレビで言っていた。北海道の、とくに日本海側で冬にしばしば経験される法則のようだ。関東であてはまるかどうかは微妙である。
大陸からやってくる低気圧が雪を降らせながら通り過ぎると、その後ろから、まるでビッグバイパーのオプションのように強烈な寒気が入り込んでくるのだという。湿った雪の翌日は気温低下に注意しなければいけない。
つい数日前にも、札幌で少し気温があがって湿った雪が降った翌日に、厳しい冷え込みがきた。さて、関東の雪が積もったあとはどういう天気がくるのかなあ、と、ぼうっと天気予報をながめている。
この予報があたったか外れたかについても、10日後のぼくは知る事ができるはずだ。
けれど、今日のぼくの疑問が10日後のぼくの「だいじなものリスト」に入っているとは思えない。
ツイッターは言った、「いまを見つけよう」。
それに対して、NHK_PR1号はかつてこのようなことを言った、「ツイートはいつ読まれるかわからないんだから、いまのことをただつぶやいても伝わらないことがあるんですよ」。
ぼくは納得する。今ぼくがやっているブログにおいても、「いまのこの感情を書き殴ったはいいが、数日後に記事を公開するころになるとだいぶ感情の温度が落ち着いてしまった」なんてことを、頻繁に経験しているからだ。
ぼくは、過去の自分がちょっと熱かったのを見てフフッってなるのがなんだか楽しくて、いつしか「書きため」を多めに用意するようになり、書いた時の自分となるべく時間をおいて記事を読むことで過去の自分とのギャップを楽しむようになった。セルフ・ギャップ萌えと命名する。
前は5日分ほど書きためていたが、今では記事のストックが10日分くらいになった。
ある人が怒っていた。
自分の仕事を「取材」にきてくれたのはありがたいが、来るのが遅すぎる、もっと早く来なかったのはなぜか、と、報道してくれた相手に対しておかんむりであった。
ぼくはその人のコメントを読んだとき、
「猛スピードで取材をして、猛スピードで記事を仕上げたとしても、読者がその記事を猛スピードで読むとは限らないんだから、別にどうでもいいじゃんか」
と思った。
けれど、同時に別のことも考えた。
たとえばツイッターのタイムラインに、1年前の話題がのぼることはあまり多くない。SNSに限らず、世の中に流れていてぼくらの目を惹き付けるようなキラキラした情報の大半は、直近の話だ。ドラマで誰が何を言ったとか、芸能人が記者会見で何を言ったとか、アメリカで大統領が何を言ったとか、どのチームがどのチームに勝ったとか。
古い芸能ニュースや古いスポーツニュースをしみじみ見ようとする機会など、元々それほど多くはないのである。
「ある感情が冷めないうちにすぐ届ける」という、ホカ弁デリバリー的な情報配信こそが、今の時代……あるいはずっと昔から、人々が群がっている蜜なのであった。
都内の雪は、もう解けたろうか。札幌はまだ真冬のままであろうと思うがどうか。
ぼくは10日後に何を聴いているだろう。
冬の深夜、真っ暗闇に対向車のヘッドライトが必要以上にきらめいて見えることがある。低温のせいか、大気中の水分量が極めて少ないせいか。アンシャープマスクがかかったような視界に少しおびえながら、凍結した道をそろそろと走る車の中では、「宇宙コンビニ」を聴くとよい。「宇宙コンビニ」のCDを買ったのはもうずいぶん昔で、なぜこのバンドに気づいたのか自分ではよく覚えていないのだけれど、とてもいいバンドである。解散してだいぶ経つ。
すっかりiTunesでしか音楽を聴かない日々だけれど、カーステレオだけはいまだにCDが現役である。ネットで音源を直接購入してしまうと、車の中では聴けない。だから車の中で聴いている音楽は少し古いCDが多くなる。
iPodを使えば車の中でも最新の音源が聴けるではないか、といわれてぼくはむっとしたのだ。どこもかしこも最新にして何がおもしろいのか。いましか見ていない若者たちに、「過去を見つけよう」、そう答えてぼくは偉そうにふんぞりかえったのだ。