これらを用いると、病気のいろいろがよくわかる。ただ、そのメカニズムについてはあまり世間には知られていない。
まずはX線の話をしよう。
俗にレントゲン検査と呼ばれるX線検査をバシャッとやると、”アニメのキャラクタが稲妻にうたれたときのような”、「影絵(シルエット)」がとれる。
俗にレントゲン検査と呼ばれるX線検査をバシャッとやると、”アニメのキャラクタが稲妻にうたれたときのような”、「影絵(シルエット)」がとれる。
いちばんわかりやすくシルエットが出てくるのは、ホネだ。まさにアニメで電撃ビリビリやったときのような感じでうつる。でも、シルエットになるのはホネだけではない。
脂肪、筋肉、あるいは臓器。体の中にあるさまざまなものは、それぞれX線の透過率が異なる。だから濃いのやうすいのや、様々なシルエットとして写る。
いわゆる胸部レントゲンとか腹部レントゲンと呼ばれる写真では、体の厚み分がまるごとすべて「影絵」になる。たとえば肋骨と肺と体脂肪のシルエットがすべて重なって写る。熟練した技術がないと病気の判定はできないし、臓器ひとつひとつを個別に検証するのも難しい。
そこで開発されたのがCTだ。CTもまたX線による「影絵装置」であることにかわりはない。
ただし、解像度(あるいは分解能という)が段違いである。シルエットを重ね合わせるのではなく、臓器ひとつひとつを個別に写し出す、いわゆる「輪切りの断面図」を得ることができる。
とても役に立つ検査だ。日本にCTがやたら多いのもうなずける。しかし……。
実は、「X線の透過率の差」だけで病気を見極めるのは、CTであっても、かなり難しい。
「濃い・薄い」の濃淡だけで臓器の中に何が起こっているかを見極めるのはたいへんだ。
もう少していねいに説明しよう。
濃淡の差が激しければみつけやすいが、差がとぼしければ見つけづらい。
当たり前だろうって?
この当たり前が、医療においてはけっこう深刻な問題を引き起こす。
「濃淡の差が激しい」とは、正常を逸している度合いが大きいということだ。一般的に、「病気がある程度進行している」ことを意味する。
でもぼくらは、病気が進行する前に見つけ出したい。要は早期発見をしたい。
となると、できれば「濃淡の差があまりないときにこそ、見つけ出したい」となる。原則ぼくらは、見つかりにくい変化をこそ、見つけたいのだ。
だったらどうするか?
X線の透過率、すなわち「成分の比」だけで画像を作るといろいろ難しいのだから。
もうひとつ、情報を足してやればよい。
その情報とは、「血流の多さ」、「血液の流れ具合」である。
病気というのは、がんにしろ、炎症にしろ、そこで普段と違うことが起こっている。普段と違うことが起こるというのは、いってみれば「そこだけ戦争が起こっている」ようなものだ。
戦争が起こっている場所には、敵(病気)がいて、味方(体が病気を治そうとする力)がいる。
こいつらは、戦うために、より多くの血流を必要とする。
病気がない場合にも、臓器ごとに決まった量の血液は流れ込んでいるのだが、病気のある場所においては、その血液の流れる速度、流れ込む量、あるいは血液が出ていく速さなどが、正常の場所と比べて変わってくる。
「血流のダイナミズム」。これを考慮することで、単なる「高度な影絵」だった画像診断に、一気に複合的な情報が付加される。
血液の流れる量をどうやって可視化するか? それが「造影剤」と呼ばれる薬だ。
造影剤は、血液の中に混じって、ふつうの血液と同じように全身をかけめぐる。そして、この造影剤は、X線をほとんど通さない。
血管の中に造影剤を注射した瞬間から画像をとりはじめると、造影剤はまず静脈にのって心臓に戻る。その後、肺の中に入って、肺から出て、また心臓に戻って、次に全身の動脈にばらまかれる。
注射して約30秒もすると、全身の動脈に造影剤がいきわたり始める。正常の臓器にも。病気の部分にも……。
このとき! 病気の部分は血流が多くなっていたり、あるいは周りよりも早く栄養をとりこもうとたくらんでいたりするので、周りの正常部分よりも少し早く、少し多くの造影剤を一緒にとりこむことになる。
そこでバシャッと写真をとる。病気の部分だけが、周りよりも強いシルエットになって写る。
これが造影CTだ。
ここまでをまとめると、
・X線を用いたレントゲンやCTという検査は、基本的に影絵だ。
・X線の透過率は、その臓器を構成している成分によって決まる。濃淡の差がでる。
・造影剤を使うと、成分による影絵のほかに、血流の情報を加味して、病気を見極められる
となる。
「成分」と、「血流」である。
じゃあ、超音波検査とか、MRIという検査は、いったい何を見ているのだろうか。
内視鏡は何を見ているのだろうか。
……この話、ひさびさに「続く」としましょう。次は病理の話(172)で。