出勤しようと車のシフトノブに手をやったら、手についていたわずかな水分が瞬間的に凍った気がした。もし濡れた手で触っていたらほんとうに凍り付いていたかもしれない。なんて寒い朝なんだ。ラジオでは気象情報をやっていた。札幌の気温は朝5時半の段階でマイナス11度。納得である。それでも札幌はまだ温かい方で、帯広や北見の方面は朝方などマイナス20度を平気で下回っているようだった。
こういう朝は、もっと寒いところのことを考える。
椎名誠がはるか昔に書いていた、シベリアのニタリノフの便座についての話は、何十年経っても思い出す。……といっても細部はまったく覚えていないのだが、タイトルとか挿絵とか、いくつかのエピソードをおりにふれて思い出す。
ぼくはときどき、マイナス40度とかマイナス50度くらいの極寒地域を訪れた人たちの本を読む。なぜ、といわれてもよくわからない。たまたま積み重なったものというのが人生にはいくつか存在する。
「極寒地域本」を読んで得た知識は、たいていムダ知識だ。だってぼくの日常からかけはなれすぎているのだから。
フードの周りに毛がいっぱいついたタイプのコートがあるだろう。あの毛は日本だとなんだかおしゃれの一部くらいの意味しかもたないが、厳寒地方においてはきちんと機能を果たしているらしい。「水分が付きづらい動物の毛をフードにつけることで、フードのフチが凍らないようにしている」とのことである。
極低温の世界に数分いると、自分の吐息がばんばん凍るから、顔の周りには常に白い霧が立ちこめている。フードをきっちりとかぶっていると、霧がフードの中にこもり、眉毛や鼻毛はすぐに凍り付いてしまうし、フード自体もがちがちに凍ってしまう。ところが、フードのフチに水分の付きづらい動物の毛をつけておくことで、フードのフチが凍らなくなるし、吐息由来の霧の逃げ道も確保されて眉毛が凍り付きづらくなるのだ、という。
本当かどうかは知らないが、本当だと納得できるくらいの説得力があるので、ぼくは本当だと信じている。
シベリアやカナダ北部の人々が用いている「生きる知恵」が本当かウソかなんて、極論すれば、ぼくにとってはどうでもいいことだ。たかだかマイナス10度くらいまでしか下がらない札幌である、毛つきのコートが役に立とうが立たなかろうが、その役割が水分の発散だろうがおしゃれだろうが、どちらでもかまわない。
けれど、なぜだろう、IT社会におけるサクセスの知恵とか、毎日元気に過ごせる健康法だとか、お金がたまる習慣とはこうだとか、そういったお得情報は圧倒的にウソばかりなのに、寒いところに生きる人々の生活の知恵にはウソはないんじゃないかなと、心のどこかで全体的に信じてしまっているぼくがいる。
だって、彼らのやってる儀式とか習慣がウソだったら凍死しちゃうからさ。
最初はなかなか暖まらなかった車内も、そんなことを考えているうちに、車のヒーターが稼働し始めて、だいぶマシになってくる。ヒーターが効くまでの間がつらいわけだが、そんなときには脳内をマイナス40度の紀行文で満たしておけば、車の温度計を見ても、「なんだあたいして寒くないじゃん」と勘違いすることができる。まあ言ってみればこれもぼくの生活の知恵なのかもしれない。うーんウソまみれだなあ。