2016年12月21日水曜日

妄想派は舞台ではなく役者をいじる

医療現場で研修医などに「先生、逃げ恥みました?」などと尋ねられると、妙に気恥ずかしい。

仕事場で、なごむ話すんのかよ、しちゃうのかよと、半ば気色ばむ。

そして、それの何が悪いのか、と、脳内の穏健派が肩をそっとおさえる。

すると、たとえ自分同士だからってそうやってすぐ体に触んなよ、距離感考えろよ、と、脳内の繊細派がきつい目でにらむ。

直ちに、そうやって何でもかんでも杓子定規に自分のATフィールドを守ることばかり前面に押し出してたら柔軟な情報交流なんかできたもんじゃねぇんだよ、と、脳内の調整役がたしなめる。

そこで、理屈じゃなくて感情でいやだって言ってる人を理詰めで責めるのはかえって反発を招くんだよ、と、脳内の元いじめられっこが目を伏せる。

なぜか、あの女性研修医は日に日にメイクがうまくなってるんだけどきっと彼氏できたんだろうね、と、脳内の軽薄キャラが関係ない話でうまく話題がそれないかと気をもんでいる。

すかさず、そうやって仕事相手が女性だとなった途端にメイクがどうとか彼氏がどうとか考えちゃうの完全にセクハラ思考なんだけどお前落ちるところまで落ちたよな、と、脳内のポリコレ推進部隊が槍で攻めてくる。

横から、外部に発信するセクハラは容認されないが内心思った感じたまで支配することなんて絶対にできないしするべきではないしそれは人間の感情に対する越権行為とも言える愚行だと、脳内の哲学半可通が真っ向勝負を挑む。

かたすみで、いちいち言葉尻とらえて問題だ問題じゃないとせせこましく言葉狩りする人間って知性がないんだよな、と、脳内の悟り世代がため息をつく。

それを、いつもまとめきれないのはこちらの不手際でして誠に恐縮です、と、脳内の座長がまとめにかかる。



「おっ、うまいこと、『恐縮です』で終わらせたね、逃げ恥につながったからこれでブログに書けるよ」と言う声がする。軽薄キャラの声であり、穏健派がお前なかなかやるじゃないかという顔をしている。元いじめられっ子は穏健派に対してなぜか冷たい目線を向けるが、下を向いて黙る。