ニンテンドークラシックミニを、買いませんでした。
めっちゃ買おうかと思ったんだけど、すげぇ迷って、まあいらないかなーとも思ったし、結局、買いませんでしたけど。うーん。
入ってるソフト30本のうち、24本はやったことある。15本くらいは、めちゃくちゃいっぱいやった。6本はやったことない。
でもまあどれもよく遊んだよなあ。懐かしいなあ。うーん、買えばよかったかなあ。でもどうせ家でテレビに向かってゲームする時間なんてないよなあ。
「○○しない」という選択肢に対して、後悔している。以上の行動は、いわゆる自己啓発本と呼ばれるたぐいの指南書では、御法度とされることが多い。
「やらないで後悔するくらいなら、やって後悔しろ!」
たいていはそうやって、諭される。
この定型文を、いつも疑問に思う。
「……そうかねえ。やって後悔するくらいなら、やらないで後悔していたほうが、ましじゃないのかねえ。精神のぐじぐじにさえ耐えれば、時間も金も、なにも失わないんだから、やらないで後悔した方が、どちらかっていうと、お得なんじゃないのかねえ。
ぼくが何かをやらないことで困るのは、むしろ、世の中のほうじゃあないのかねえ。お金が回らないとかさ。人が動かないとかさ。
別に、いいじゃん、しないという選択肢。」
ぼくはそういう人間で、できれば、「やらないでぐっと我慢する自分」の方が、なんというか、思慮深くて、用心深くて、趣深くて味わい深いだろうと思っている。
日ごろ、検査室とか研修医室とか友人間とかツイッタランドなど、ありとあらゆる場所で、
「とりあえず新しいものとかさ、市原がやるからさ、俺ら、待ってようぜ」
と、バカにされている。
いつも、浅慮、短慮、軽薄な鉄砲玉であり毒見係であるぼくは、自分のなりたい「やらなくてぐじぐじ後悔するタイプの人間」になれず、「やって後悔する役目」についてしまっている。
ニンテンドークラシックミニを注文しました。