そこらへんを歩いている人を片っ端からMRIで撮像するとどうなるだろう。
渋谷の交差点に設置しておくのだ。通りがかる人をランダムにうつしとる画像診断装置を。
羽田空港のセキュリティのところに潜ませてもよいだろう。
倫理? 知ったことではない! わははは! みたいなエライ人に、試しに一度やってもらいたい。
きっと何の意味もないとわかる。
何の意味もないってことはないだろう! と人はいう。
けれども、症状がなく元気に歩き回っている状態で、ただ「異常なカゲが写っている」とき、それが病気である確率は低い。
これから書く内容はまだ完全に証明された話ではないので、あくまでここだけの「話のタネ」として読んでいただきたいのだが。
近年、「腰のヘルニア」は画像だけで判断してはいけないのではないか、という説が出始めている。
世の中の人々をめったやたらにMRI撮像すると、思った以上に「ヘルニアになっていておかしくない腰椎・腰髄」がうつってくるのだという。
ヘルニアの人ばかり集めてきて撮った写真と、同じような形をした腰というのがそこら中に平気で歩いている、というのだ。
ぼくらは常々考えていた、「病気の人を2000人くらい集めて調べれば、病気の人に共通する特徴があるだろう」と。
でも、病気の人だけ集めても、どうやらだめだったらしい。
なんの症状もなく元気に暮らしている人を20000人くらい集めると、その中には「ヘルニアっぽい腰」がいっぱいまぎれていたのだ。
もちろん、そういう人の中の幾人かは将来ヘルニアを発症するかもしれないが。
生涯そのまま、腰に何の不自由もなくやっていく人もいる。
長生きしたい大富豪は、全身をカバーする画像検査を毎年受けるという。
けれどそれで見つかる「異常」は、ほんとうに生命に関わる異常なのかは微妙だ。症状すら出ないこともある。
では病気はどうやって見つけるのがよいか?
不特定多数にやたらめったら写真を撮ってもだめだ。
「こういう人だったら、異常がみつかったときにそれが”意味のある病気”である確率が高い」という、クラスタをしぼりこむことが必要なのである。
腰のヘルニアを見つけようと思ったら、まずはアンケートを採るのがいい。
痛いですか。しびれますか。姿勢によってしびれの度合いが変わりますか。
こういったアンケートで「この人はヘルニアになっている可能性が高い」とわかってから……「ヘルニアクラスタ」をしぼりこんでから、画像検査を行う。
そうすると、画像のわずかな異常にも「意味」が含まれている可能性がぐっと上がる。
以上の話は現代診断学の基礎中の基礎であり、かつ、診断学を学んだことのない人にとっては「えっ、そういうものなの?」と驚かれてしまう。
全員に遺伝子検査をしてもだめだ。
全員に免疫染色をしてもだめだ。
診断を適切に行うためには、最初から「キワッキワの専門検査」をしてもだめなのだ。
まずは話を聞く。顔色をみる。症状を把握する。
そうして「クラスタ分け」をしてからでないと、正しい診断は出ない。
かつて、NHK「ドクターG」をみていたころ、タイムラインにはしばしば医療系学生がおり、
「こんなしちめんどうくさい問診してないでさっさとCT撮ればいいのに」
などと発言していた。
あれから数年が経ち、彼らは立派な臨床医となり……。
先日、そのひとりをみつけたのだ。彼(女)は仕事中の話を決してツイートしないタイプのすぐれたツイッタラーになっていた。
ただ、思わず漏れたのだろうな、これはおそらく仕事の話だろう、というツイートをみかけた。
「やっぱ問診なんだな」
ぼくは、そうだろう、そうだろうと納得したのだ。