体の中にあるさまざまな細胞は、いずれもDNAというプログラム……というかプログラムの書かれた本をもっている。
おもしろいなあと思うのは。
目にある網膜を作る細胞の中にも、肌にある汗を作る細胞の中にも、胃の粘膜の細胞の中にも、すべて、同じ本がある、ということだ。
広辞苑の何億倍という量の情報が書き込まれた、「遺伝子プログラム大辞典完全版」が、全細胞に1つずつ備え付けられている。
一家に一冊、DNA。ぜいたくな話だよ。
全身の細胞は、存在する場所や役割に応じて、「違うページ」を開いてプログラムを読む。
ほとんどすべての細胞が開かないといけない共通ページというのもある。その一方で、ある一部の細胞しか開かないマニアックなプログラムも、全員の本の中にすべて書き込まれている。
ふしぎなシステム。
筋肉細胞が、脂肪細胞の使うプログラムを読むことはほとんどないだろうに、全員が同じ本を持っているのである。
元は1つの受精卵だった細胞が、分裂を繰り返す過程で、「これからそっちで働く君は、辞典のこのページだけを持って行きなさい」、「あっちで働く君は辞典のこっちの章だけを持って行きなさい」と、個別に違うプログラムを割り当てるやり方もありえただろう。
けれど、進化の歴史は、そのやり方を選ばなかった。「全細胞に同じ本」を持たせた。
非効率にも見えるが、結局これが一番エラーが少なかったのだろう。
本を破って渡すというのは、やっぱり本を傷めてしまうと思う。
さて、細胞全員が同じ本を持っている状況ではあるが……。
実は、細胞ごとに、よく使うページに付箋やしおりを挟んでいたり、逆にあまり使わないページをテープやホチキスで閉じていたりする。このしおりやホチキスの使い方が細胞ごとに異なる。
DNAやヒストンのアセチル化、メチル化といったことばを見たことがある人もいるだろう。これらは、ざっくりいえば、しおりやホチキスだ。
みな同じ辞典を持っていても、同じ見た目ではないということである。
本をギラッギラにデコって使っているBリンパ球のB子ちゃんもいれば、読むところをさっと読んであとはラミネートパックしてほとんど鑑賞用みたいにしてしまっている赤血球のR夫くんもいる(ちなみにR夫くんは若いうちに本を捨ててしまい、包丁いっぽんで生き残ろうとするさすらいの料理人みたいなやつだ)。
細胞たちが、もとはひとつの受精卵だった証として持っている分厚い辞典は、それぞれが役割分担をするうちに少しずつ見た目を変えていく。
臓器が変われば本の見た目が異なる。
胃と肝臓と足の裏で装丁がまるで違う。
でも、書いている内容は、実は同じ。
これがDNAだ。
「遺伝子プログラム大辞典完全版」は、新しい細胞が生まれるたびに1冊ずつ完全コピーされる。
落丁は許されない。誤植も許されない。
ちょっとした誤植が「そもそも開かれないページ」に存在した場合は、あまり大きな影響はないのだが。
「頻繁に開かれるページ」に存在すると、間違ったプログラムによって細胞は盛大にバグる。
誤植だ! とわかったら、その本はなんと、細胞ごと抹消される。回収とかしない。上からシールを貼ってごまかすこともない(今、実際にはあるなあ、と思ったけどその話をすると長くなる)。
けれども、誤植が誤植と気づかないくらい巧妙(?)なやつだと……。
間違ったプログラムを発動する細胞は、生き残る。
生き残って子孫を残す。誤植の本を誤植のままコピーしながら。
細胞にも寿命がある。けれどもその細胞の「寿命を司るプログラム」に誤植があり、運悪く「永遠の命」をもつ細胞になってしまう場合がある。
天文学的な数字を分母にもつ、極めて低確率ではあるのだが、そういうことがある。
永遠の命を持った細胞が、延々と細胞分裂を繰り返し、複数の誤植をコピーし続けて、誤植がどんどんと蓄積して……。
……そんなにミスが積み重なることなんて有り得るの?
有り得るのだ。それをひとは俗に、「がん」と呼んでいる。
がんを遺伝子で診断するというのがいうほど簡単ではないということがおわかりだろう。
細胞ごとに同じ内容が記載された、「遺伝子プログラム大辞典完全版」。
けれど細胞ごとに違うデコレーションがされている。よく開くページ、閉じられてしまっているページ。
その中から意味のある誤植をみつけて、それが細胞にバグをもたらしていることを発見しなければいけない。
誤植は1箇所とか2箇所とかじゃないぞ。一説には100とも1000ともいわれている。
指先にある細胞の「遺伝子プログラム大辞典完全版」を読んで誤植をみつけたからといって、それが胃の細胞でも同じように誤植となっているかどうかはわからないぞ。
どの誤植が細胞にとって重要なバグをもたらしているかも難しいぞ。
医学研究、特にがんの研究をするというのは、「遺伝子プログラム大辞典完全版」を、最新のデコ情報まで含めて何度も何度も読み直し、調べ尽くす作業に似ている。