病理報告書に、たとえばこういう説明文が書いてあるとする。
あなたが非医療者であれば、なんのこっちゃ? であろう。専門用語だからね。
でも、実は、あなたが担当医であっても、なんのこっちゃ? となる。
この文章、医者じゃないからわからないのではない。医者であってもわからない。病理というのはそういう世界だ。
さらにいうと、仮にあなたが病理医であっても、この診断文を読むと「なんのこっちゃ?」となるかもしれない。
いきなりいじわるをしてしまった。
今の文章は、厳密にいえば、不適切な診断文なのである。
実際に診断の現場でいろんなレポートを読むと、こういう文章に出会うことはままある。
あるが、十分に経験を積んだ病理医がこういう文章を書くことはまずない。
この文章の何がおかしいのかをちょっと考えてみよう。
「異型腫瘍細胞が異型腺腔構造を形成して増殖する腺癌です。」
2回用いられている「異型」がまず気になる。
異型とはなんだ。
異なる型、と書くから、何かのかたちが違うんだろう、くらいの想像はつくことだろう。
Q1.かたちが違うというのは、何と比べて?
A1.正常の、そこにあってよい細胞と比べて。
Q2.かたちが違うというのは、どのように?
A2.正常の臓器にあってよいかたち、あってよくないかたちというのがある。
Q3.かたちが違うということは、何を意味する?
A3.それが、がんかもしれないということ。ただ、がんでなくても、異型が出ることはある。
「異型」という短いことばにはこれくらいの「含み」がある。
そもそもは、「がんの可能性があるとき」にまず用いることばである。
ただ、異型があるというだけでがんだと言い切ることはできない。
ということは、だ……。
冒頭の、
「異型腫瘍細胞が異型腺腔構造を形成して増殖する腺癌です。」
を、詳しく説明すると、このようになる。
「がんかもしれないけれどがんではないかもしれない、かたちの違いを有する腫瘍細胞が、がんかもしれないけれどがんではないかもしれない腺腔構造を形成して増殖する、(腺癌という)がんです。」
なんじゃこりゃ。
長ったらしく説明したのはいいけれど、結局、「がん or not? がん or not?」と迷わせておいて、最後に突然ドーンと「がんです」と書いてあるだけの文章ではないか。
例えてみればこういう文章なのだ。
「悪人面をした人が悪人っぽい服を着ています。ヤクザです。」
お、おう、ってなもんだ。根拠はどこに書いてあるのだ。偏見と主観のかたまりではないか。
こんなものを診断とは呼ばないのである。
異型ということばは、それ単独では、むしろ迷いしか生まない種類の言葉だ。
「どのような」異型なのか、それが「どれくらい」がんっぽいのかを説明しないまま、手を抜いて「異型がある」とだけ書いても、読んでいるほうからすると、情報が増えない。
”読んでいるほうからすると、情報が増えない” というのは、「いやな病理診断」を考えるときのひとつのキーワードである。
病理診断なんて、自分がわかってりゃいいじゃねぇかよ、は、完全にダメとはいわないが、ぼくはおすすめしない。
ここまでの文章を読んで、一部の、病理を研修している初学者などは、ぎょっとするかもしれない。
「えっ、異型ってことばを使っちゃいけないの?」
使い方が肝心なのだ。
異型ということばを使うならば、自分の立ち位置を明確にせよ。
「がんか、がんじゃないか、わからない」と本気で思ったならそう書けばよい。
しかし、最後に「がんだと思う」と書くつもりならば、読んだ人が「なるほど、がんだな」と納得できるだけの説明を、きちんと書かなければいけない。
異型という、一見べんりで、かつ何もいっていない言葉を用いるにはコツがいる。
たとえば、こうだ。
「核の大小不同や核小体の明瞭化、核膜の不整、核の輪郭の不規則さが明らかな異型核と、偏在した微細顆粒状の細胞質を有する上皮細胞が、gland-in-glandやback-to-backなどの構造異型を有する腺管構造を構成して浸潤性増殖する像がみられます。腺癌です。」
あなたが非医療者であれば、なんのこっちゃ? であろう。専門用語だからね。
でも、実は、あなたが担当医だと、「おっなるほど。ちゃんと見てくれてるんだな」くらいに変わる。
そしてこの文章、仮にあなたが病理医であれば、「うん、確かにがんだね。」と読める。
まずはここからだ。
ここから、順番に、「担当医がもっとよくわかる文章」を目指し、最終的には「非医療者にもわかるような文章を書くべきタイミング」というのをはかるようになっていく。
でも、実は、あなたが担当医だと、「おっなるほど。ちゃんと見てくれてるんだな」くらいに変わる。
そしてこの文章、仮にあなたが病理医であれば、「うん、確かにがんだね。」と読める。
まずはここからだ。
ここから、順番に、「担当医がもっとよくわかる文章」を目指し、最終的には「非医療者にもわかるような文章を書くべきタイミング」というのをはかるようになっていく。