抱えている原稿が、「一段落しなくなった」。
少し前までは、「もうこれでしめ切りのある原稿はいまのところひとつもないな」とか、「あと2か月は何も書かなくていいな」ということがあったのだが、さまざまなしめ切りがそれぞれ好き勝手なペースでやってくるようになり、書き下ろしの依頼も加わったことで、時間があれば何か書いておいたほうがいい状態で安定してしまった。
特に苦痛ではないが背負わなくてよかった荷物ではあるよなあとも思っている。
少し前に糸井重里氏が、
「このごろの世の中は、人間に人間以上のものを要求している気がする」
という内容のことを書いていたのだが、これを読んだ一番最初の感想は、
「今の全力をぶつけようと思ったら、今いる自分以上のものを見据えないとだめだからなあ。」
という反論に近いものだった。しかし、少し噛みしめているうちに感想がかわった。
「人間は常にスキルを最大まで使って生きていくようにはできていなくて、ほとんどの人間は人生の大半を人間以下の状態で暮らしている。それでも何か新しいものを得たりしているんだ。」
常に新しいことや今ある以上のものを追い求め続けるチャレンジャーの姿勢と、なるべくのんびりMP温存しながら遠回りのくり返しで少しずつレベルをあげていく週末ゲーマーの姿勢と、どちらが自分には合っているのだろう。どうもぼくはずーっと求道無限(ぐどうむげん)のやりかたをよしとしてきた。でも無限の追い求め方にもいくつかある。
世の中には無限にやることがある。足し算よりかけ算、かけ算よりべき乗のやり方でどんどんスコアを稼いでみたところで、「無限には絶対に追いつかない」。ゆっくり稼ごうが早く稼ごうがいっしょだ。追いつかないものは追いつかない。だって相手は無限だから。
自分は常に自分の最大値より弱い、人間はいつもフルアーマー人間ではない。
寄り道したりぼうっとしたりしながら、それでも新しいものごとに触れて、小さい魔法を新しく覚えて、とやっていくほうが普通なのではないかな、と考えるようになった。
抱えている原稿が、「一段落しなくなった」理由がひとつ増えていることに気づく。
しめ切りがある原稿を急いで仕上げるクセが少し弱くなっている。
今でも、しめ切り間際にがんばることはしないのだが、それでも、「2年先がしめ切りなら、半年後に書くかな」くらいののんびりさを手に入れた。その分、抱えているしめ切りの量が増えた。
そう、ぼくの抱えているしめ切りが増えたというのは、忙しくなったからではない。逆だ。
ぼくはのんびりしたい気持ちが増えたので、しめ切りも増えた。