2020年4月6日月曜日

病理の話(431) そのためにスーツを着てました

これから書くことは、決して多くの病理医がスタンダードな手法としてやっていることではない。あくまでぼくのスタイルである。だから、特に若い病理医のみなさまは、これが普遍的なやり方であるとは思わないほうがいい。

「病理診断」という「絶対」を毎日出力し続ける専門医として、果たしてそのようなやり方が、患者や主治医をはじめとする多くの人々にとって良い結果をもたらすのかどうかを、じっくりと吟味してもらいたい。

ぼくは10年吟味した。

しかしあなたが同じ結論に至るとは限らない。



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ぼくの場合。

病理診断報告書を断定して書くケースと、断定できずに書くケースとがある。




【断定口調で書く報告書の例】

「胃生検 2片。悪性。腺癌(せんがん)である。」

(※実際の報告書は英語をまじえてもう少し違う書式で書きますが、ブログなのでちょっとわかりやすく改変します)


【断定できずに書く報告書の例】

「胃生検 2片。良性か悪性かの判断がつかない。おそらく癌であるが、癌ではない可能性が少し残る。再度検査したほうがいい。」

(※実際の報告書は英語をまじえてもう少し違う書式で書きますが、ブログなのでちょっとわかりやすく改変します)




だいたいこういうかんじだ。この二つ、かたや「がん」と確定していて、もう片方は「がん」だと決められない、という文章なのだが、ここで注意してほしいことがある。

どちらもやけに堂々としているのだ。特に後者。

「判断がつかない」

と言っているくせに、「再度検査したほうがいい。」と、かなり強めに、患者と主治医の行動を縛っている





これはぼくのポリシーなのだが、ぼくらが「判断がつかない」と言ったところで病院内にいるすべての関係者の思考が止まってしまい判断ができなくなるようではだめなのだ

今回の検査で判断がつかないならば、次にとりうる選択肢は限られている。

・もう一度同じ検査をする

・次は違う検査をする

・少し時間をおいてあらためて後日検査をする(経過観察をする)

ぼくは、「今回の検体を使ってがんと判断することはできない、決められない」とは思っているが、「だからこのあとどう行動したらいいかも判断できない」とは書いていない。

「検査でがんと決められないのだから、ただちに次の行動にうつれ

と断定している。






このやり方を嫌う病理医もいる。病理医のやることはあくまで細胞をみて意見を言うこと。判断というのは主治医がやるべきだ、という考え方もある。

しかしぼくはどちらかというと、「病理医は判断をする。それも、臨床医の判断を手助けするために、能動的に意見を述べる」ほうの立場をとる。





このやり方をするうえで、ひとつだけ、ぼくが絶対に守らなければいけない「報告書の外でやるべきお仕事」がある。

それは、「いつでも主治医からの電話に出ること」だ。





主治医「せんせえ! 見たよさっきの病理。やっぱり癌とは言い切れませんか」

ぼく「言い切れませんね。いろいろやってみましたがこれでがんと言い切るのは難しいです」

主治医「やっぱり再検しないとだめかなあ」

ぼく「したほうがいいですよ」

主治医「でもなあ」

ぼく「おっ、何か事情が?」

主治医「ええ……実はあの患者、飲んでいる薬の関係で、あまり何度も胃カメラやって胃をつまみたくない人なんですよね」

ぼく「なるほど……でしたら、拡大内視鏡の写真をもってきてください、一緒に考えましょう」

主治医「すみません、よろしくお願いします。内視鏡写真みたら病理の結果は変わりますか?」

ぼく「病理組織診断の結果は変わりません。でも、病理の再検なしでより積極的な内視鏡治療に持ち込むだけの情報がそろう可能性はあります。つまり、先生の今後の判断をもう少し具体的にいじれる可能性はある。付き合いますから、写真もってきてください」

主治医「わかった! ありがとう先生」




その後の行動指針にまで口を出す病理診断をするならば、主治医がその方針に違和感を持った場合に、継続して相談に乗れる状況を作っておかなければいけない。


病理報告書に強めの文章を使うならば、電話や対面のアフターサポートを万全にする必要がある。






今回の例では、ぼくは、自分が「断定をする側の立場」になることを想定した。

しかし実際の臨床現場では全く逆のこともある。

主治医が「絶対がんだ!」と思って検査に出したときに、「まて、決断するな。ここは慎重になれ」という内容のレポートを書くこともある。

しかしこのときも、「慎重になったほうがいいかもしれない」ではなく、「即断しないべきである」という強めの表現を使うことが多い。







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さて本記事のタイトルである。「そのためにスーツを着てました」

ぼくは、大学院を出てすぐ今の病院に勤め始めた。当時はまだ29歳。

29歳で、30代、40代の臨床の大エースや、還暦を越えた大ベテランたちに、「その判断ちょっと待つべきである」「この診断は難しいから〇〇したほうがよい」的な、強い口調の病理診断報告書を書いて、果たして実感をもって受け止めてもらえるのだろうか、という懸念があった。

そこでぼくは多くの先輩たちの話を聞き、

まず、

かたちから入った。




毎日きちんと上下スーツで出勤する。

病理診断報告書はすべて敬語で書く(そのほうが丁寧に見える)。

電話は1コールでとる。

迅速組織診のあいさつははきはきと。

切り出しに立ち会ってもらうときもなるべく敬語で元気よく。





こうして、「ぼくはとことんあなたがたのために身を粉にしてがんばるが、病理診断の文章だけは強く書くぞ」というキャラクタに、自分を作り替えていった。

その結果……がうまく行ってたのかどうかは……実は自分ではあまりわからなかったのだけれども……。

少なくとも最初の5年間くらい、まだぺーぺーだったぼくを温かく受け入れてくれた多くのドクターたちは、みなにこやかで、やさしかったので、そう大きく外していたわけではなかったろうなと、今では思う。

近頃のぼくは少し診断書の口調をやさしめに変えてきている。だんだん偉くなってきたぼくが、強い口調を使うと、若い主治医たちが萎縮してしまうかもしれないな、なんてことを少し気にし始めているのである。