「ディスク・レパンシー」ではない。強いて書くなら「ディス・クレパンシー」である。
Discrepancy:不一致。くらべてみたときに「うまく理屈が合わない」ことを言う。この言葉は、医療の世界ではしばしば耳にする。
具体的にはこういう感じだ。
「主治医がCTを見て、ここにこのようなサイズの病気があると診断しました。そして手術をしました。摘出された臓器に対して、病理医がねんいりに病気をみて、顕微鏡も使って細かく確認してみたところ、事前に臨床医がCTから予測していたサイズよりも、病気のサイズがかなり大きかったことがわかりました。臨床診断と病理診断の間にディスクレパンシー(不一致)がありました。理由はなぜなのでしょうか?」
しちめんどうくさく書いたけれど本当によくあることである。病気の診断名自体はあっているし、治療法も問題ないので、患者にとっての不利益も生じていないのだが、ただ、「主治医が手術の前に見立てていた病気のサイズが本当のサイズよりも少し小さかった」ことは、主治医をくやしがらせる。(※外科医は、そういうこともあると知っているので、あらかじめ病気よりも広い範囲を手術でとってくるようにしているから、見立てより実際の病気がでかかったとしても、たいていはうまくとりきれる)。
ではなぜこのようなディスクレパンシーが生じるのか。いろいろな理由がある。そして、その「いろいろな理由」は、主に病理医によってもたらされる。
例としてはこうだ。
「この病気は、まんなかではぎっちりと細胞の詰まった姿をしていますので、CTでも捉えやすいです。しかし、へりの部分では、細胞がまばらに飛び散っているんですね。CTにうつる限界というのがあるので、へりの部分のようすは、完全には捉えきれなかったのでしょう。」
あるいは、こういうパターンもある。
「一見、病気のようにうつっていたこの部分、じつはメインの病気とは関係ない、べつのできごとによるものです。ここを病気だと考えてしまったために、本来の病気のサイズがわかりにくくなったのでしょう。」
最終的には解像度の差になってくる。病理診断はたいていの場合、主治医たちが見ているCTやMRI、内視鏡、超音波よりもはるかに細かい範囲で病気を見ることができるから、主治医が予測する病気の性状よりも、病理医がみている病気の姿のほうが「本来の姿に近い」。
となると、ディスクレパンシーという言葉を使うのも、ほんとうはおかしいのだ。「不一致」にふくまれるニュアンスは、単に二者が合っていないというだけのものだが、じっさいには「主治医の診断が少し間違っている」(病理診断はより正しい情報を提供するので、それと比べることで発覚する)だけのことが多い。「正解と見比べると不一致」なんてまどろっこしいことを言わず、「不正解例」と称すればよい……。
が、われわれは慣習的にも、あるいは本来の意味的にも、ディスクレパンシー(不一致)という言葉を使うようにしている。それは、「病理診断が答えに近い」という言い方が、どことなく下品だな、と感じるからだろう。患者にとっての「正解」とは、その病気が細胞レベルでどういう性状をしているか、の部分ではなく、「どういう姿の病気であろうと、それにどう対処すればいいか、どのような手段で立ち向かえば病気を『いなす』ことができるか」の部分に存在するはずだ。主治医と病理医がクイズを出し合って解き合っている風景など患者にはオマケみたいなものである。病理医のほうが正解だ、などとうそぶいたところで、それが主治医と患者の二人三脚を良くしていかないのならば意味がない。
だからぼくらはいつもディスクレパンシーという言葉を使う。生身の患者を想定して、「我々が同じものを違うように解釈してしまうのはなぜか」をきっちりと詰め、そして、患者の診療にフィードバックすることだけを考えるために。