患者さんの体の中からとってきた臓器を目で見て、病気があるところをスルドク見出し、その部分をプレパラートにして(技師さんありがとうございます)、顕微鏡で見るのが病理医のおおまかな仕事である。
プレパラートは、基本的に、H&E染色という方法で細胞に色を付けてある。この染め方は一部が機械化されているが、昔ながらの「手染め」をする機会もある。手染めのイメージをお話ししよう。
ガラスプレパラートに、うすーく(4マイクロメートルくらい)切った組織が乗っかっている。どれくらい薄いかというと、持ち上げたら向こうが透けて見えるくらい薄い。髪の毛の細さがだいたい80マイクロメートルだというから、その20分の1しかない、と言ったら伝わるだろうか。ティッシュやセロファン(最近見ないが……)よりも薄いだろう。今調べてみたら、セロファンテープなどに用いられている「セロファン」の厚さはだいたい20マイクロメートル前後。ああ、やはり、組織片のほうが薄いのだ。そして、おまけにもろい。
この薄くてもろい、はかないペラッペラが、ガラスプレパラートの上にのっている。それを特殊な溶液の中にジャボンジャボンと漬ける。
「ハンカチの手染め」を見たことがある人はいるだろうか? マジでああいう感じだ。漬けては引き上げ、漬けては引き上げ、洗って、色止めをして、みたいな行程で染め上がっていく。原始的だが最も有効なのだ。
H&E染色は「2色染め」である。細胞の中にある構造の、電荷の違いを利用して、ヘマトキシリンという青紫の色素と、エオジンというピンクっぽい色素とで細胞を染め分ける。これによって、特に細胞の「核」とよばれる構造物が非常によく見える。核以外にも細胞膜とか細胞質のようすまで、色味というか……質感というか……キメというか……とにかくいろいろ豊潤につたわってくる。とても便利な染色だ。
さて、このように染めたプレパラートは、たまーに、他の病院に貸し出される。これ、今まであまり書いてこなかった。
たとえば、うちの病院でぼくが診断したプレパラートを、ほかの病院や大学の人が「貸して欲しい」と言ってくることがある。えっ、うちのだからだめだよ、とは言わない。なぜならプレパラートは「患者さんのためのもの」だからだ。物質的な資産としては当院のものだけど、そこから得られる情報は、患者さんのために活用されるべきである。
なぜほかの病院や大学が、うちの病院で作ったプレパラートに興味を持つのか?
それは、患者さんが当院から「ほかの病院や大学」に移ったからである。
……えっ、逃げられたんですか?
ちがう。いや、違わないこともあるかもしれないけれどあまりそういうのは聞かない。そうじゃなくて、現代の医療においては、患者さんはけっこうすぐ他の病院に移動するのだ。たとえば以下のような理由で。
・診断はうちで付けたけど、治療は大学でやる。機械が大がかりなので大学でしかできない、などの理由。
・診断はうちで付けて、治療もうちでやろうと思ったけど、患者さんが転勤することになった。だから今後は、転勤した先の病院にかかってもらう。
・診断はうちで付けたけど、患者さんがそもそも遠いところから来ていた(北海道の病院ではよくある話だ)。毎回当院まで通うのは大変だから、地元の病院で診療を続けよう。
こういうとき、患者さんがほかの病院にかかるならば、「プレパラートもその病院に貸し出して見てもらう」のがスジなのである。
われわれ病理医は、「病理診断報告書」を書く。そこには、主治医がこの先治療を進めていく上で必要な情報がほぼほぼ書いてある。
しかし、じつは、プレパラート自体が内包している情報というのはもっとずっと豊かなのだ。報告書にどれだけ書いても伝えきれないニュアンスみたいなものがある。
だから、プレパラートを直接みておくというのは、診療を行う施設にとってはいろいろ意味がある。
具体的にはこうだ。
「2年前に○○(臓器名)にこのような病気が出て、当院で手術して、その病気をとった。プレパラートにして当院に保管済みである。そして、今回、あらたに□□(さっきとは違う臓器名)に、また病気が出てきた。今回の病気は、前回の病気と関係あるのだろうか? まったく別に、あたらしく出てきた違う病気なのだろうか?」
2年前も今回も、当院に患者さんがかかっているならば、ぼくは過去のプレパラートと今の病気とを見比べることができる。しかし、この2年間で患者さんが引っ越ししていた場合、あらたに出てきた病気を診断する病理医は、ぼくではないかもしれない。
そういうときに、ぼくの元に電話がかかってくる。
「もしもし、A病院の○○と言います。2年前に貴院(あなたの病院という意味)で手術された、○○(臓器名)のプレパラートを、拝見させていただけないでしょうか?」
そうだよね、見比べたいよね、わかるよ。ぼくは保管してある過去のプレパラートを引っ張り出してきて、専用の容器に詰め、緩衝材(プチプチ)の入った封筒に入れて、お手紙を書いて、A病院に送る。送料はこっちもちだ。そうやって陰でプレパラートの貸借が行われている。そこまでしないと診療というのはなかなか前に進んでいかないものである。