2017年2月2日木曜日

病理の話(44)

40年くらい前の病理医が何をやっていたのか、みたいなのを調べている。

やたらと電子顕微鏡を使っている。

免疫染色と呼ばれる手法が登場するまでは、高価な電子顕微鏡を用いて病気のありようを調べるやり方は、一般的……とは言わないが、少なくとも病理医にとってのアイデンティティではあったのだ。

ぼくのボスも、電子顕微鏡の話をする。電子顕微鏡だけではなく、大脳の大切片(5μmくらいの厚さで脳の輪切りを作り、まるごとガラスにのせて巨大なプレパラートにする、ロストテクノロジー、オーパーツに近い。そんなバケモノみたいな標本作製技術を持った人間は今の時代にはおそらくいない)の話や、病理医のいる病院では病理解剖が年間100件近く行われていた時代の話など、「昔の病理医がやっていたこと」を、ときおり聞く。まるっきり、むかしばなしの世界である。口頭伝承はたいてい、昼飯時に行われる。たのしい。

さまざまな技術が、その時代、その時代で最先端とされ、人が群がり、金をかけ、頭脳を集めて、成果を上げてきた。

電子顕微鏡は高価である。標本を作るのも高価だ。しかし当時、細胞の中で何が起きているのかを知るには、電子顕微鏡で見えるものを探すしかなかった。だから、重宝された。

その後、遺伝子やタンパクの研究が進み、蛍光染色の切れ味が増し、免疫組織化学染色が登場するに至って、手間がかかる電子顕微鏡は急速に廃れた。現在、診断という目的では、軟部腫瘍や腎臓などの専門施設でごく限定された使い方をされるに過ぎない(高度の基礎研究では今も使用される)。


***


では、ロストテクノロジー化しつつある電子顕微鏡で得られた結果は、過去のものなのか。

そうでもない。むしろ、当時電子顕微鏡で見て得られた細胞の情報が、今でも強烈な光を放つ場合がある。




電子顕微鏡なき今、免疫染色という技法を用いて、細胞のある一側面を「強調」して診断していると、ときどき、なんというか……

「Photoshopで二階調化とかポスタライズしたあとの画像を見ているような気持ち」

になるというか……(伝わらなかったらごめんなさい。雑誌「病理と臨床」のパクリです)。



免疫染色というのは、そこにある1種類のタンパク質をめがけて「抗体」という標識をうちこみ、抗体をめったやたらとインクで塗りまくることで、「ある1種類のタンパクがそこにあるかどうか」をがりがり強調する手法である。

そこにタンパクがどれだけあるかという「定量」にはあまり向いていない。

また、複数種類のタンパクを同時に見るには、それだけ多くの免疫染色を行って、結果を頭の中で掛け合わさなければいけない。

インクを打ちまくることで、細胞内の「どこに」タンパクが存在するかの精度が悪くなる。核か、細胞質か、細胞膜か、細胞質のだいたいどのあたりか、までは見えるのだが、高次微細構造のどこに具体的にタンパクが存在するかは見る事ができない。

そこまで詳しく見なくても、臨床的には十分役に立つと、みんなが納得したから、「細かく見すぎる」電子顕微鏡の技術は「簡便に、わかりやすく、二階調化した感じで、強調して見せてくれる」免疫染色に取って代わられたんだけど。


簡便性、利便性を求めて進歩した免疫染色の影で、電子顕微鏡だけが拾っていたニュアンス的なものは、確実に失われていった。それは、失われても誰もソンしない類いのものだった。だから、失われても仕方が無いと言えた。


氷屋さんや、らお屋さん、金魚売りなどが、世の中から消えていったように。



ところが、おもしろいことに。

病理診断学とは別に、臨床医の診断学がどんどん向上して、MRIが分子診断に近づいたり、NBI拡大内視鏡がミクロの世界を描出できるようになったりすると、「臨床診断が病理に求めること」もまた、どんどん細かくなっていくわけで。

すると、「まあここまでは見なくてもいいんじゃない? 免疫染色で二階調化した画像だけ見とけばいいよ」と言っていた領域で、

「うーん……二階調化するのもいいけど…… ”元絵” を見たいなあ……」

という話が、たまに出てくる。


今、ぼくはときどき、あの細胞やこの構造を、電子顕微鏡で見てみたいなあと思うことがある。

それは、超拡大内視鏡と呼ばれる最先端技術の画像・病理対比を依頼された時、あるいは、核医学・病理対比の世界で新たな核種の検討をしていた時などに、複数回訪れた。

ああ、細胞の、いちばん細かいところを、アナログに見てみてえなあ……!




ぼくは基本的に、アナログ診断よりもデジタル診断が、人間よりもAIが、総じて優れていると思っている。だから、今更電子顕微鏡を見てみたいと思っているのは、

「失われた技術にも科学を発展させる余地がある!」

みたいな、懐古主義から出た感情ではない。

単純に、脳が、「知りたい! 見てみたい!」と思っているだけの話なのである。


別に、こんなもの、見なくても、患者は困らない。

けど、ぼくの脳が困るなあと、思ったりしているのである。









念のため言っておくが、見たら、患者にとっていいことはある。見なくても困らないけど、見たらきっといいことが増える。

そう信じている場合に、この仕事を「人として」続けることができる。