とある看護学校の、病理学の授業を担当している。先日、試験が終わったので、採点をしなければいけない。この採点がとても時間がかかる。
「記述式の大問4問」なのだが、ぼくの試験では事前に試験問題を公開しており、公開した問題に応じて
「試験の3週間くらい前から、対策を練らせる」
ということをやっている。
A4一枚の紙に総務課のハンコを押したものを配付し、その表裏にぎっしりと、「試験の対策」を書いてきてもらう。当日は、「対策プリント」を書き写せばそのまま回答になる。
コピペ自由、友人どうしでの共有も自由。
そして、対策プリントに40点という配点をつけ、当日の試験問題が60点。合格は60点以上、平均点は90点くらいになる。まあ確実に全員合格する。
そう、これは、「テスト」という名の、2段階レポートシステムなので、きちんとレポートを作って提出してもらえば単位にはなるのだ。
さて、このレポートの採点はとても大変だ。そこかしこにコメントをつけていく。30人分の採点をするには、ほんとうに30時間くらいかかってしまう。1か月くらいかけてひいひい言いながら採点をする。
最初、よさげに点を付けてしまうと、あとあと出てきた「もっとすごい答えを書いた子」に対する点数が不当に低くなってしまうので、一通り目を通してコメントしてから「2周目」に入り、そこではじめて点数を付ける。
これをやってきて、思うことがある。
小学校、中学校の先生なんてのは、ああ、ほんとうに、偉かったなあ……。
毎日まいにち、子供たちのプリントにあれこれとコメントを付け続けてくれていたっけなあ……。
きっと、疲れた日には、カトちゃんケンちゃんでも見ながらビール飲んでさっさと寝たかったろうになあ……。
夜通し、採点だけし終えて、翌日の準備なんかしてたら、ほとんどプライベートなんてなかったんじゃないかなあ……。
ぼくらは常日頃、「自分の仕事はとても大変である」という文脈を、必死に押し殺して生活しているような気がする。誰よりもつらい。誰よりも忙しい。厳重にフタをしめ、紐でグルグル巻きにした、本音の壺の中から、「俺なんか」「俺こそが」という声が漏れ聞こえてくる。
でも、それは、他の人の生活を想像できないからなんだろうなあ、ということを考えている。
自分ではない他人が、目の前にある仕事にどのように取り組み、どのように苦しみ、どのようにサボるかなんて、ほんとうにその人と同じ立場になってみないと、もう、絶対に思いも寄らないのだ。
なのに、自分がいちばん忙しいなんて、どの口が言えるというのだろう。
自分がいちばん大変だなんて、思わないとやっていけなかったのだろうか。
担任の努力に気づくまでに30年も必要とする程度の人間が、何をどう、比べてきたのだろうか。