見え方が違う、と言っても、画像のプロでなければ区別がつかない。つまりは、ぼくの目にも、
「まったく同じじゃねぇか」
と見える。
しかし、プロは言った。
「うん……いいんだ、これは『肝細胞癌』という病気で間違いない画像だと思うんだ。しかし、なんていうかなあ……一緒にCT見てもらっていい?」
モニタを覗き込む。
「この病変さ、ひとかたまりではあるんだけど、画像よく見ると、いくつかの成分が混じってると思うのね。
こっちと、こっち。微妙に、造影したときの染まり方が、違うじゃない」
造影CT検査の画像をあちこち見比べる。
確かに、ひとつの病気の中で、「それほど白くない部分」と、「もっとはっきり白い部分」が、分かれているように思った。
「だからね、こっちはいわゆる『早期の肝細胞癌』で、こっちは『少しだけ進行した肝細胞癌』とか、そういう解釈をしたわけ。でもね、MRIみて」
プロはマウスをかちかちやって、MRIの画像を表示させた。
「MRIでT1のinとout見比べるとさ、ここには脂肪がありそうじゃない。脂肪成分。ふつうはさ、肝細胞癌だとさ、脂肪が含まれている部分ってのは、高分化じゃない」
ぼくはうなずく。ここまでの説明は、すべてよくわかる。では、何が問題なんだ?
この病気には、「早期肝細胞癌(そこまで悪そうじゃない癌)」と呼ばれる成分と、「少し進行した肝細胞癌(そこそこ悪い癌)」と呼ばれる成分が、それぞれ含まれているということでいいじゃないか。
「でもね、MRIではこっちのほうが、より悪そうな癌に見えるの。CTと逆なの」
あっ。逆だ。確かに……。
なぜだろう。CTでの造影態度からの予測と、MRIでの成分分析の予測が、食い違っているように見える。
超音波の画像を出す。二人で覗き込む。
「うーん、MRIで脂肪だと思ったところは確かに高エコーですね……」
「そうでしょう。だからMRIで脂肪だってのはあってると思うんだけどさ、造影エコーもみて」
「うーむ、あれ、脂肪がある方が、造影がむしろ早いなあ……」
「なんか、CTともMRIとも微妙に違うよね。でね、病理、どうだったのかなあと思ってさ」
「わかりました。おまちください」
この患者さんは、臨床医によって「正しい診断」をつけられ、「適切な手術」を受けて、「体内から癌がなくなった状態」を達成している。引き続き、内科を定期的に受診することにはなるが、ここまで何も問題らしい問題は起こっていない。
それでも、このプロは、疑問があった。
診断があっていたのはいい。
しかし、CTとMRIと超音波画像の解釈が、自分の中でわずかに食い違ったままだ。
それが許せない。
「先生に言われて、その目で顕微鏡見てみたんですけど、これじゃないですかね? この病変、全体が高分化でいいと思うんですよ。で、こっちは脂肪沈着がある。こっちは分化度が低いんじゃなくて、類洞の拡張傾向、peliosisがある」
「ペリオーシス? それがあるとどうなる?」
「病変内の類洞様構造が拡張すると、流速の低下が起こるので、分化度が下がらなくても造影態度が変わるのかもしれませんよ」
「なるほど……そんなこともあるのかなあ。ちょっとまって、病理の肉眼像みせて。画像とあわせてみる」
「じゃあ、ぼく、肉眼像にマッピング付けたやつ出します」
このやりとりは、我々の自己満足なのかもしれない。
患者さんにはちんぷんかんぷんだ。
でも、ぼくらは、こういうやり方が、まだ見ぬ患者さんへの「誠意」なのではないかなあと、ひそかに思っている。
顕微鏡を見ることで、臨床医の誠意に「相乗り」できる時がある。