いろんなところに書いているようで、実はきちんと書いていないことを書く。
「腫瘍」というと、がんのイメージが強いが、必ずしも腫瘍とはがんを意味する言葉ではない。もっと幅広い言葉だ。
このあたりの詳しい説明は昔このブログでも書いたことがあるので、今日はあまり繰り返さないが(「がんの話」シリーズがあります)、ちょっとだけおさらいをする。
正常の細胞を一般の善良な人々に例えると、腫瘍細胞は「チンピラ」に当たる。
善良な人々は、規則正しい生活を送る。仕事をしている。いるべき場所を守る。
ちゃんと仕事をしない。いてはいけない場所にいようとする。群れて増えるごくつぶしである。
正常細胞と腫瘍細胞の違いは、こんなところだ。以上の言葉は専門的には、分化異常、増殖異常、分布の異常、浸潤、不死化、異常代謝などの言葉であらわされるけれど、チンピラの悪行三昧と覚えておけばよい。
さて、このチンピラもまた、人間である、という話をする。
チンピラが完全にエイリアンとかモンスターのような異形のものであれば、攻撃するにあたっても目標を認識しやすいのでべんりなのだが、チンピラはしばしば、善良な人々と同じような姿をとる。
大腸がんの細胞は、もともと大腸の表面に存在する「大腸の上皮」に似た性質を示す。
膵がんの細胞は、もともと膵臓の「膵管」という構造に存在する「膵管上皮」に似ていることが多い。
乳がんの細胞は、もともと乳腺の「乳管」という構造に存在する「乳管上皮」に似ていることが多い。
胃がんの細胞は、「胃腺窩上皮」や「胃で腸上皮化生を起こした上皮」という細胞に似ている。
で、これらを、医学生も、医者も、このように表現することがある。
「胃がんというのはですね、胃にある粘膜の、腺窩上皮という細胞が悪くなったもので……」
「膵がんはですね、膵管上皮から発生していまして……」
難しい言い方であるが、つまりは、
「善良に暮らしていた人々が、なにかのきっかけでグレて、チンピラになってしまった。」
ということを言っている。
これは、おそらく、正解ではないだろう、というのが最近の学説である。
人間の世界ではそういうこともあろうが、細胞に関しては、
「善良なまま大人になった人は、めったなことではチンピラにはならない」
だろうと言われているのだ。
では、チンピラになるのは誰か?
チンピラになるのは、赤ん坊なのだ。これから大人になろうとする、生まれたばかりの細胞。これが、かなり初期の段階で、チンピラとしての人生を歩み始める。
大人がチンピラになるか、赤ちゃんのころからチンピラへの人生を歩むか。
細かい違いだけれど、重要なのである。治療に関する研究をする上でも、あるいは、がんを早期発見するための研究をする上でも。
ある日、ぼくが、このような病理報告書を書いたとする(今さらっと考えたフィクション症例ですし、こういうのは実はやまほどあります。特定のモデルは存在しません)。
「本病変は、免疫組織化学により、MUC5ACが表層部に陽性。MUC6, pepsinogen Iが中層から深部においてさまざまに陽性。H+/K+ ATPaseが散在性に陽性となります。すなわち、胃の腺窩上皮に分化を示しつつ、深部では頚部粘液細胞、主細胞への分化も示す病変であり、いわゆる胃底腺粘膜型胃癌と呼ばれるものです」
この一文には、「チンピラがもつ性質」を書きつつ、「もしこのチンピラが、善良な人々として育つ ”if” の世界があったら、どんなところで働いていたであろうか」ということを書いてある。
手練れの内視鏡医たちは、この文章を見ながら、
「そうか……頚部粘液細胞とか主細胞の性質を持つのだったら、粘膜の深いところでこっそりと横や下に広がりたがるわけもわかるかもしれない……だから胃カメラでは、このがんが妙に ”スネーク” してるように感じたんだな……こいつは暗躍するタイプのがん細胞なんだ」
ということを想像してくれる。
最初に出てきた、おとながチンピラになったか、赤ちゃんからチンピラになったか、関係なくない? と思われた方もいるかもしれないが、そのあたりのイメージが正しく備わっている人のほうが、より「がん細胞の気分を適切におしはかる」ことができる。
チンピラにも人生があり、性格があり、得手不得手がある。これを読み解くのが、細胞分化を読むということなのだ。
ぼくらは、人が不幸になる原因である「腫瘍」、あるいは「がん」を、よく、人に例える。
プレパラートの中に、「がんがいる」と表現する。
これを、嫌う人もいる。
がんは、ものだ。敵だ。
「いる」なんて言わなくてもいい。「ある」でいい。
でも、つい、人に例えてしまう。
もし、違う世界線であれば、善良な細胞に分化できたであろうチンピラのことを思い、その性質をおしはかって、その上で、容赦なく倒しに行く。
少しだけ後味の悪い想像を抱えながら、がん診療は続いていく。