「ポリープ」という言葉がある。大腸ポリープ、胃ポリープ、声帯ポリープ、などという。
ポリープとは何かというと、「粘膜からにょきっと生えているもの」を指す。かたちに対応する言葉である。
大きさは問わない。色も問わない。細かい形状も問わない。東京ドームのようなひらべったいカタチでもポリープと呼んでいいし、傘のように上がふくらんで、下に細い茎があるものもポリープと呼んでよい。
まあ、もうちょっとだけ細かい定義があるんだけど、それはこの際、いいだろう。
さて、そんなポリープは、がんであることもあるが、単に「粘膜がちょっと伸びちゃっただけ」であることもある。がんだったら、放っておいたら、将来命にかかわるかもしれない。けど、粘膜がたまたま引っ張られて伸びているだけだっていうならば、放っておいたって構いはしない。
この「ポリープ」が、今すぐとっておいたほうがよい「がん」か、それ以外かを区別するのは、とても大切なことなのだ。では、どうすればよいか?
採って、顕微鏡で見る。そうすれば、細胞を直接調べることができる。解決である! 病理ばんざい!
……そうなんだけど。これで終わってしまってはいけないのだと、あえて、病理医であるぼくは、言いたい。
日本の多くの消化器専門医だって、きっとそう思っている。
ポリープが出てくる度に全部ていねいに採って、顕微鏡で見れば、それだけお金もかかるし、時間もかかる。
一番いいのは、
・病理診断なんかしなくても、胃カメラや大腸カメラをやったお医者さんが、その場で、
「なんかがんくせぇな」
とか、
「こりゃ絶対がんじゃねぇな」
と判断をつけてしまうこと
なのだ。
でも、これはなかなか難しい。
顕微鏡を見ないで、病気の正体を見極めるというのは、コナン君の推理に似ている。「見てきたように語る」をやらないといけない。コナン君と違って、犯人が程良いタイミングで説明口調の自白をしてくれるわけでもない。
難しいけれど。いつか、そうなれたらいいなあと、内視鏡医たちは、ずっと思っていたのだ。
そこで大切になってくるのは、病理医と臨床医がいっしょになって、ディスカッションをすることである。
「このポリープさあ、結局、がんだったんだけどさあ、あとで見返してみたら、やっぱり良性のポリープと違って、ここのところがソゲてると思うんだよ」
「そうかなるほど、顕微鏡でみると、確かにそこのところは、細胞の増殖が激しくて、周りの組織を壊してるんだよな、自分がいるべき床をも破壊しちゃってるんだよ。だから周りに比べるとちょっと低くなってる」
「ふむふむ、ドームの頂点のところだけ不自然にへこんでいたのは、ここで浸潤(しんじゅん)が起こっていたからなのかな」
「それでいいんじゃないかなあ。今度から、同じドーム型の病変で、この色、このカタチをしていて、ここにソゲがあったら、がんの可能性が高いのかな?」
「どれどれ、似たようなことが書いてある論文がないかどうか調べてみよう。俺は病理な。おまえ胃カメラの論文調べてくれよ」
「OK」
「OK」
こういった会話をどんどん深めていくことは、おそらく、診断学を広げていくのではないかと、ぼくらは思っている。