2017年2月10日金曜日

病理の話(47) 職務に対する印象と劣等感のはなし

病理医は患者と会わないため、社会的な認知度が低いのだが、これに加えて、病院内で最も人数の多い看護師と一緒に仕事をしていないために、そもそも医療関係者における知名度も低い。

だから、しょっちゅう、自分の仕事を説明するはめになる。たとえ病院内にいたとしても、だ。どんな病理医も、けっこうな頻度で、「どんなことしてるの?」と尋ねられている。

外科医とか、消化器内科医とか、泌尿器科医などであれば、普通は「だいたいのイメージ」があるので、「どんなことしてるの?」みたいな根源的な問いはあまり受けないのではないかと思うが(想像です)、病理医はこの質問をとてもよく受けるように思う。少なくともぼくは、しょっちゅうこの質問を受けている。


ところで……。


ぼくは医学部に入るまで、「外科医」というのは外科手術をするのが専門の、「職人のような仕事」、あるいは「力仕事」だと思っていた。アーティスト。脳筋。体育会系。そんなイメージがあった。ところが、実習で1日外科医に随伴してみると、その仕事の幅広さに驚いたものだ。

なるほど、適切な手術をしようと思ったら、病気がどこからどこまで及んでいるかを適切に判断しなければいけないし、臓器の奥に切ってはいけない血管が走っていることを画像から見抜かなければいけないし、どこをどれだけ切ったら体の機能が維持できなくなるだろうかを計算して臓器を切らなければいけないし、ちょっと考えれば、外科が単なる立ち仕事の体力勝負ではない、ということはわかる。

職業名を聞いて、素人が「瞬間的にイメージ」する像なんて、まあ、外れていて当然なのだ。



あくまで個人的な観測経験ではあるが……。

外科医は、非医療者に「体力勝負ですよね」と尋ねられたとき、「そうですね、ひたすら切ってますね」などと答えるが、あえてその「微妙にずれたイメージ」を直そうとはしない。

「いやあぼくらは別に、ただ切ってるだけじゃないんですよ」みたいに、細かく説明する人は、思いのほか少ない気がする。

自分の仕事に誇りをもっていれば、そして、世の中が最低限度の理解をしていてくれるなら、細かい訂正にやっきになって、「体力勝負だけじゃなくて頭も使うんだ」とがなりたてるようなことは、あまりしていないようだ。



職業のイメージなんて、その程度でいいんだよな、と思う。まじめに将来のことを考えて、外科医になるかどうか今とても悩んでいる人というならばともかく、他愛ない日常会話で、自分の仕事をきっちり過不足なく伝える必要はない。にこにこ話題がふくらめば十分であろう。



ひるがえって、ぼくは、「病理医ってあの顕微鏡ばっかり見てる仕事でしょ」、と問われた時に、今まで、どうやって答えてきただろうか。

いや待ってくれ、顕微鏡ばかりじゃないんだと、弁解にいそしんできたのではないか。

病理医のイメージを正しく伝えるために必要なことだと思っていたけれど、その必死さが、「別の」イメージを産み出してはいなかったろうか。

もっと、仕事に、ふつうのプライドをもって、会話を楽しむだけの余裕をもつべきではなかったか。




ぼくは、何か、ぼくの仕事に対する積年の悩み・劣等感を、見透かされたような気になってはいなかったか。

そして、プライドを言葉にすることで、かえって何か落ち着きのようなものを、失ってはいなかっただろうか。