2017年2月24日金曜日

病理の話(52)

バリウム技師さんが集まる会に、しょっちゅう出る。

胃のバリウム検査というのは、すでに古びた技術ではある。しかし、捨てたものではない。内視鏡(胃カメラ)で直接胃を眺めれば病気なんてすぐ診断できるだろう、というのは、ある意味医師のおごりである。

直接見たって、見えないものはある。

自分の姿を一番よく見ているのは自分だとお思いか?

鏡に映った自分の姿は、ほんとうにすべてを忠実に映しているだろうか?

魚眼レンズでゆがめられた像。はすにかまえて、病気を斜めから見通した姿。これらはときに、勘違いを生む。見逃しを呼ぶ。

もちろん、そうならないように、胃カメラは発展してきた。しかし、バリウム検査で映る胃の姿にも、読み応えがあり、意味があり、メリットもある。


だから、ぼくは、同じ胃という臓器を、異なるやり方で診断しようとする人たちが、それぞれに好きだ。胃カメラのプロのことも大好きだし、胃バリウムの達人と働くと心が躍る。超音波だって、CTだって、そうだ。




さて、胃バリウムで見た姿というのは、「影絵」に似ている。

胃に、バリウムという、X線を通さない物質を、厚く塗ったり薄く塗ったりすることで、X線で胃をみたときに、陰影、輪郭、粘膜の厚さ、さらには硬さまでも(空気量を変えたり、直接胃をおなかごしに(!)押したりして)見ることができる。

これらの影絵は、あくまで「影絵」でしかない。病気そのものを直接見に行っているわけではない。

けれど、得られる情報がとても多い。



一方の、病理。手術で採ってきた胃の、病気の部分を細かく切って、病気がどれだけしみこんでいるか、どれだけ広がっているかを確認し、さらに細胞の性状までも解き明かそうとする。

X線や胃カメラで見た「像」と、病理で我々がみる「細胞の姿」、どちらがより患者さんの今後を正確に占うか。



「今のところ」、病理の勝ちだと言われている。

今のところだ。


だから、画像をやる人はみんな、自分たちがみたものが、「病理の答え」とどれだけ肉薄したかをとても気にする。

現代の医学では、画像で得た情報は限りなく「病理の答え」に近い。

しかし、外れることもある。大変に細かいレベルで外れてくる。病気の範囲がちょっとずれていたり、病気のしみこみ度合いが少し違ったりすることがあるのだ。



これらの「ずれ」を是正するために、検討会とか、研究会とか、学会というものがある。みんなで画像を持ち寄って、ああでもないこうでもないと「読影(影を読む)」をし、病理の答えと突き合わせながら、どういう読み方がより説得力があるのかを競い合い、教えあい、共有して、明日につなげていく。



***



ぼくが最近この研究会や検討会で重視しているプロセスがある。

それは、「人はなぜ、間違って読むのか」を、できるだけ言葉にするという作業だ。

うっかり間違う、のならば仕方がない。

再現性をもって、誰が読んでも「間違ってしまう」画像というのがある。そこには、おそらく、それなりの理由がある。落とし穴。ピットフォールなどという。

このピットフォールを、病理の知識をもって洗いざらい明らかにする。こういうミスが起こりやすいのはどういうときか、というのを考えていく。

それが、「対比病理学」とぼくが勝手に呼んでいるものだ。



対比病理学のキモは、記述すること、説明すること、納得すること。

なぜ間違う? そうか、こういう現象があるからか。

どうしてずれる? そうか、こういう可能性も見なければいけないのか。

これらを、医療者がわかるようにきちんと記載し、お互いに通じるように説明をして、みんなで納得しなければいけない。



どうも、この作業だけは、AIにはできないのではないか……などということを、今ほんとうに、めちゃくちゃ真剣に考えているのだが……。


この話はたぶん、また忘れたころに、続きを話すことになる。ぼくは今、自分が使命をもっておもしろく取り組んでいる仕事を、きちんと記述して、人に説明して、納得してもらえるだろうか、という試みに、取り組んでいる。