2017年2月1日水曜日

ZAZEN BOYSの新譜が出ない

Suchmosの新譜を買ったのだが、そういえば、平気で「かっこよさげな曲」を聴くようになったなあと思った。

かっこよさげな曲、かわいげのある曲なんてものは、男のコにとっては恥である。ぼくなんぞは、そう思っていた。何をシャレオツな。ちょっとひねた曲を聴け。キャーキャー言うな。

それがいつのまにか、かっこよさげだから聴こう、ああ、かっこよさげだ、いいねえ、と言うように、「軟化」していた。

なんでだろうな。

ぼくは、どちらかというと、過去には絶対に戻りたくないと思っている方の人間で、いつの時代だってつらく苦しかったから、どんな曲を聴いていたときも一様につらく苦しかったし、昔ああいう曲を聴いていたときの自分に戻りたいとは思わないんだけど、昔聴いていた曲だけはまた聴いてみたいとも思う。

だから、音楽の好みが変わったというよりは、「広く許容できるようになった」というほうが正しいのだろうと思う。



人それぞれの好みがあって、人それぞれの持論があって、それはきっと、20歳なら20年分の、30歳なら30年分の、積み重ねによってできあがってきたものだから、2分とか2日とか2年付き合ったくらいでどうこう言われて動くようなものではない。

そういうことに思いが至ったのはこの1年くらいである。38歳のぼくは、38年分の積み重ねを、他の人間の積み重ねてきた15年とか30年とか60年みたいな結晶で、水増ししたり、干渉で目減りさせてしまったりしながら、だんだん、合う合わないなんていう基本的なところでうろうろせずに、許すか許さないか、できれば許す一択でよいのではないかとか、そういう感じになってきた。

だからSuchmosが聴けるようになったのだ、というのは一足飛びに聞こえるだろうか?

いや、一足飛びではない。ぼくは、タイムラインで、燃え殻さんみたいな「かすれたセクシーさをほとばしらせる人」が好きだと公言しているバンドなんて、今までだったら絶対に、堂々とは聴けないでいた。

きっと、誰にも内緒で、買うだけ買って、聴いてはいるんだけど、聴いてませんよ、みたいな顔をしようとしていたはずだ。


あ、宇多田ヒカルの新譜もとてもいいと思います。