2017年9月29日金曜日

病理の話(126)

受験のことを思い出していた。

かつて、「図形問題」というのがあった。円とか平行四辺形とか三角形などに、自分で「補助線」を引いて、角度を求めたり長さを求めたりするやつ。中学校くらいでよくやったんじゃなかったっけ。

あれ、何が難しいかって、

「問題集で1つの問題を解いたからと言って、すぐに他の問題が解けるようにはならない」

ということだ。



入試に備えて、過去問を勉強する。過去問は「もう二度と出ない問題」だ。だって、一度出てるんだから。

けれど、「似た問題が出る」と言われて、そうか、じゃあ過去問でもやっとくかな、となる。

これが役に立つか、立たないか、という話。



計算問題なら、数字だけ違ってもやり方は基本的に同じだ。

けれど、図形はそうはいかない。

「同じ図形に同じ補助線」ということはなかなかない。

ぼくは図形の問題が苦手だった。

参考書や問題集を読むうちに、図形も補助線もぜんぶ違うけれど、なんだかパターンというか、根底に流れる考え方みたいなものはある程度共通するのだなあ、ということを少しずつ学んでいく。

そうやってようやく、受験の当日に初めて見る図形に対応できるようになる。

「ああ、この問題自体は見たことがないけれど、なんというか、昔解いたことがある問題にちょっとだけ似ているところはあるなあ、それが何かはわからないんだけれど……」




経験と直感で問題を解くということ。

あるいは、複数の問題から抽出された理論を理解して問題にあたるということ。

当時やっていた、受験テクニックとは、どっちだったろうな。





病理診断も、こういう側面がある。

まったく同じ患者、というのは絶対に現れない。だから、世の中には、まったく同じ病気というのも存在しない。すべてが一期一会である。

けれど、無数の病気の中には、

「この病気であれば、この部分に関してはこういう見え方をする」

という共通点がある。

病理医は、「初めて出会う細胞」を、知識や経験を基に「おそらくアレと似ている」と分類していく。

そうすると、「解ける」。





病理医の仕事は、なんだか受験数学に似ている、という話である。

そして、さらに書き加えておかないといけない。





病理医の仕事の根幹は、受験問題を解くところまででは終わらない。

受験問題を実際に解きながら、そのメカニズムを解明し、臨床医をはじめとする多くの医療人が見ても解けるように、「参考書や問題集として仕立て上げる」こと。




臨床医が細胞を採ってきて、病理でAという病気だと解答を与えられておしまい、ではなく。

臨床医や、あるいは若い病理医が、

「ああ、こないだこれに似た病気があったけれど、あのときは病理でAと診断されたっけ。ということは、今回もまたAと診断されるかな? 少し似ていて、少し違う。Aじゃないかもしれない。今度は病理はなんて言うかな。Aかな、あとはBもありえるなあ」

というように、解答だけではなく問題そのものにも興味を持ってもらえること。




人気の予備校講師がテレビに出る。多くの日本人であれば義務教育のどこかで学んだはずのことを、誰よりもわかりやすく解説して、知識を知恵に変えてくれる。それを見た人達は、ただ単に問題から解答を導き出す「いわゆる受験勉強」よりも、もっと実践的な学問に、あるいは逆に、もっと根源的な学問に、それぞれ興味を持つようになる。

病理医がやる仕事も、こうであればよいなあと思う。