2017年11月30日木曜日

病理の話(145) エンドレス細胞トーク

ちょっとメタな話で外しワザの回となるが、書いておきたいことがある。

病理医をやっていると言うと、かつては、「そんな細胞ばっかりみる仕事、飽きないの?」と言われることがよくあった。

ぼくは、その声に反論するためにブログをはじめたふしがある。

つまりはこの、「病理の話」をはじめたきっかけについて、今日は語ろうと思う。




ブログの題材として、2回に1回「病理の話」を選ぼうと決めた。ブログ開設の段階で、ある程度明確な目標があった。

その目標とは。

「病理の話」を100個書けたらホンモノだ、100回書こう、ということだ。

病理の話を100本書けたら、ぼくはこのブログをやる価値がある、と思っていた。

より正確に言うならば、病理医という仕事を人に語るにあたって、「ブログ記事を100個書けない程度の思い入れ」であるならば、ぼくが誰か他の人に「この世界おもしろいよ」と説明する説得力の部分が心許ない、と思った。





パイロットになりたい。

花屋さんになりたい。

電通に勤めたい。

アイドルになりたい。

いろんな夢がある。それらには勝手なイメージがついている。

勝手なイメージだ。実際に夢を叶えてみれば、きっと、そうそういいことばかりではあるまい。

けれど、オトナになった自分が、子供のころからもっているポジティブなイメージの中で今暮らしているのだ、という満足感は、その人の心の大切なところを支えてくれるだろう。何ものにも代えがたいだろう。

勝手なイメージであってもよい。良いイメージであればよいのだ、職業イメージというものは。




……けれど、病理医についているイメージというのは、さほど良いイメージではない。「地味」だ。

「1日中顕微鏡見ている」。

これは果たして、多くの人にとっての夢になりうるだろうか?

一部のマニアックな人にとってはパラダイスかもしれない。けれど、大多数の人にとっては、1日中レンズと向き合っているというのは、職業を語るイメージとしては、かなりダメダメなのである。




こういうセリフが出てくるのも納得だ。「飽きないの?」





ぼくはそこに「飽きないよ」というために、実例が多く必要だろうと思った。良いイメージで塗り替えるというのも手だが、良いイメージを1、2個用意したくらいでは、当初の地味なイメージを払拭できるとは思えない。

だから、物量で勝負しようと思ったのだ。具体的には、こうだ。

「いいオトナが100回も200回もブログの記事を書けるくらいに、働いていて考えることが多い世界」





100回を超えたころ、思った。ああこれは、いつまででも書けるなあと。

病理ってのはやっぱり、医学の根幹なんだな。とても幅が広い。

題材が枯渇することがないんだ。

病理の話だったら、いくらでも書ける。病理の話「以外」の日の方が、題材に迷うくらいだ。





ほんとうは以上の内容を、「病理の話(101)」くらいでやろうと思っていたのだが、101回目にえらそうにこれを載せて、102回目に更新がとまったら失笑されるだろうな、それはこわいな、と思って下書きに入れたまましばらく忘れていた。今日、発掘した。


題材は尽きない。それは今でも変わらない。ただ、うまく書けるかどうか、潜り込んで書けるかどうか、というところで毎日うんうんうなってはいる。




偉そうなことをいっぱい書いたけれど単なる苦行体質なのかもしれない。

2017年11月29日水曜日

アライグマのお父さん

今年はなんとか3本論文を書けた。うち、投稿してすでに受理され掲載までされたものが1本。1本はさきほど投稿を終了した。もう1本は、年内に投稿先を決める。共著者の臨床医たちにもお伺いを立てなければいけない。

数年前には一人で論文を書くなんて夢物語だと思っていたけれど。

イヤイヤながら、押し出されるように、しょうがないなあと言いながら、書いているうちにどうもスキルのようなものを身につけることができたようだ。

今では、次の論文を書く自分を想像することができる。もちろん、まだまだ、手間がかかってしょうがないけれどもだ。




こういうことをずっと繰り返しているような気がする。

決して能動的に、自分から何者かを成し遂げようとし続けてきたわけではないし、実際に完遂できた仕事というのも極めて少ないぼくだが、

「いつの間にか退路がなくなっていた」

「気づいたら歩かされていた、歩かされていることも忘れて歩いていた」

ということが毎年少しずつ増えている。

望むか望まざるかに関わらず、いつしか種のような、卵のようなものがどこかからかぼくの体に植え付けられていて、自分のキャラクタを食い破って、なんだか羽化をさせられて、よたよたと飛んでいる。




「中動態」というやつだろうか。自分だけではどうにもならない外界の力と、自分から発したかもしれないがよくわからないエネルギーとが、自分の中に回帰して、自分を勝手に突き動かす。歩かさる(北海道弁)。

やろうと思ってやりました、なんてわかりやすい話ではない。

な、なぜかわからないんですけど、やることになっていました、やっているうちに慣れました。

そんなことばかりだ。




以下、前にも書いたことがある話だと思うが、解釈が増えたのであらためて書く。

「ぼのぼの」というマンガの中に、

「もしかして、オトナって、かくれんぼの鬼みたいなんじゃないだろうか。

なんとなく似ていると思う。

『さあ、見つけに行かないと』と思うところなんかすごく似てると思う」

というセリフがあって、ぼくはあれがとても好きだ。

いつも「さあ、見つけに行かないとな」と言って、しぶしぶ動き出す。

オトナは中動態の鬼なのだと思う。ぼくは最近、「さあ、そろそろ書かないと」と言って、論文を書いた。

2017年11月28日火曜日

病理の話(144) ミュージックビデオ的病理教育の是非

「クリエイション クリエイション クリエイション

粘膜と

クリエイション クリエイション クリエイション

間質が

毎回パラクライン・オートクライン・ドンピシャのタイミングでパン!『はいGUT』が聞こえるような」


と、岡崎体育に歌ってもらえばいいのだ。





細胞だけを眺めていても病理診断はできない。

人体の中で機能をもち、なんらかの役割を果たしている臓器、器官。これらを観察する上では、「役者」としての細胞だけではなく、「背景」とか「大道具」とか「小道具」にあたる間質(かんしつ)を見極めるとよい。

そう、ぼくらがみているのは細胞だけではない。




HE染色と呼ばれる汎的な染め物は、正常の細胞やがん細胞の、「核」という構造を染め抜くのに適している。核と細胞質、すなわち人に例えるならばアタマとカラダを見分けるのに向いている。

だから、まずは主役や脇役を、HE染色で十分に評価しよう。

そして、そこまでで病理診断を終えてしまってはもったいない。

次に、別の染色を用いて、スタジオ、セット、あるいはロケ地の風景などをがっちり評価する。

一流のカメラマンが、撮る対象に合わせてレンズを入れ替えるように。

ターゲットにあわせて染色を変えていくことが、切れ味のある診断をする上でとても役に立つ。




PAS染色で中性粘液や糖をハイライト。

Alcian-blue染色で酸性粘液を浮き上がらせて評価する。

細胞が作り出す粘液は、正しく作る分には人の役に立つが、過剰であったり使いどころを間違っていたりするならば、きっとその「生み出し手」は何か悪いことをたくらんでいるのだ、と推測することができる。



Gitter染色で細網線維を浮き上がらせ、Azan染色で膠原線維の分布を把握する。EVG染色でも膠原線維と弾性線維の両者を染め分けることが可能だ。

そこにある線維が、善良な細胞の足場であるのか、悪人たちのアジトを作るバリケードであるのかを見極めることで、悪者たちが作り上げた悪の根城を詳細に評価することもできる。



染色が増えればそれだけ作業は煩雑になる。臨床医たちも、マニアックすぎる染色の評価をいちいち覚えてはいられない。

しかしだ。

カメラマンは多くのレンズを使うけれど、我々写真のシロートは、カメラマンによって選び抜かれた構図やピントの場所、色彩などを、ごたごた深いことを考えずとも、感じて、よいと思うことができる。

病理医だって一緒だ。そうあるぺきなのだ。



岡崎体育の何が偉いかというと、「PV」が音楽と映像のドンピシャミックスであることをメタにとらえた作品を世に送り出したことではないかと思っている。

彼はカメラマンの気持ちも、クリエイターの気持ちも持ち合わせて、それでいてミュージシャンである。

さあ、病理を前にして、我々はどれくらいの気持ちでいるべきだろうか。

2017年11月27日月曜日

VOICE

京都のワインバーは白を頼んでも赤が出てくるしメニューを音を立てて置くしでとにかく一見を放り出したいのだろうという気構えが伝わってきた。我々はそれでもボトルを開けながら本の話をしていたのだ。

途中から合流した写真家とぼくはいろいろな話をした。

病理医というのは写真家にあこがれるものなのだ、ということ。

細胞を染めるときに使うヘマトキシリンはアマゾンだったかナイル川だったかの流域に生えている植物から抽出するのだという話。

フィルムの写真が表現する粒子にこだわりたいのだということ。

ポートレートを撮る際に、シャッターを5分くらい開きっぱなしにしていると何かがにじみ出てくるのだということ。

ぼくの臓器を取り出して、台の上に置いて、30分くらいシャッターを開きっぱなしにして、写真に撮ったらきっととんでもないものが撮れるのだろうな、ということ。そしてそれは、きっと世の中にはキャッチーすぎるから、出してはいけないものになるのだろう、ということ。

編集者はこの話を商売にできるのではないかと20回くらい言って酔いを深めていったので、ぼくは何かの記事を書かされる前にここに記しておくことにする。



現象を切り取って絵に残すこと、写真に残すこと、文章に残すこと、これらに共通するのは何か?

元あったものを完全に写し取ることではなく、そこに作者・撮影者・執筆者の意思が入ってどこかにピントが合い、なんらかの構図をとることこそが、大事なのだということ。

ぼくはこれを学問の庭で語り、写真家はこれを人間の温度で語っていたように思う。




http://www1.odn.ne.jp/~cbe35240/photography/top_j.htm





編集者は酒が強くトレンチコートを着こなし頭が異常によいイケメンなので、いつか20分くらいのシャッタースピードで写真を撮って魂を抜いてやればいいのだ。

彼は文学の用語を話した。優れた書き手には筆力以上に「ボイス」があるのだという。

脳だけが旅をして、文だけが声を出す。

しかし写真もまた語る。ぼくは写真家に、

「病理の写真は、空きスペースにいっぱい解説を書いておくのですよ。昔の病理医はそうやって、デジタルではなかった貴重な写真に自分の知恵と科学をぎゅうぎゅうに詰め込むようなことをしていたんです」

と語った。写真家は静かにうなずいて、それを見てみたいなあ、と中空に何かを書くような動きをした。

2017年11月24日金曜日

病理の話(143) がんとにらみ合え

がんが発見されるとき、がんというのはすでに「大軍」である、という話をする。


がんが見つかるとはすなわち、人の目に見えるほどカタマリが大きく育っているということであり、あるいは患者の体に悪影響を及ぼすほど(なんらかの症状が出るほど)まわりを攻撃している、あるいは押しやっているということである。

がんは、がん細胞のカタマリだ。がんという単一の悪人がいるわけではなく、「がん軍」という兵士の集まりである。兵士ひとりひとりががん細胞だ。ただひとりで人体のどこかに潜んでいたり、数人とか数十人でゲリラ的に活動をしているときには、遠目から見ても、そこに悪人(がん)がいるということに気づけない。何十万人という徒党を組んで、大軍隊になってはじめて、認識することができる。

がんを倒すには、この大軍が少しでも小さいときに見つけて粉砕すればよい……のだが、じゃあ、どれくらい小規模なときに叩けばよいのだろうか?

1人? それはそうだろう、1人しかいないならば、悪人は成敗しやすい。しかし、これをあえて抗がん剤とか放射線で叩こうとすることに何か意味があるだろうか。

東京23区のどこかに1人だけ極悪人がいる。それをターゲットに、東京都全域を焼き尽くすような爆弾を投下することに倫理があるだろうか。

1人だったら、爆弾など用いずとも、普通の警察機構がはたらいていれば、倒すことができるだろう。普通の警察機構とはすなわち、免疫のことだ。人体には四六時中、免疫という名の警察が存在している。町のあちこちに毎日何人も生まれてくる悪人は、生涯を通じて、この免疫警察が取り締まっている。

そう、ぼくもあなたも、今この瞬間にも体のどこかで常にがんの芽が生まれている。しかし、99%以上の確率で、そのがんは早いうちに取り締まられているのだ。

だから、がん細胞1個を標的とした治療というのは過剰なのである。今日、ぼくに抗がん剤を打つことに、なんの正当性も見いだせない。



逆に、大軍として育ち切ってしまったがんを倒すのもまた困難だ。

大軍を要して、周囲の善良な人々を苦しめてやまない軍隊には、いろいろな隠し球がある。全身に斥候を飛ばしている。遊軍があちこちに控えている。大軍を滅ぼしたとしても、各地に潜伏した残党が、再び旗を立てて襲いかかってくる。



つまり、軍隊ができて、それがこれから明らかに国を脅かすような規模に育ち切る前段階で取り締まる……のが理想なのだ。現代、医学が進歩して、がんが発見されても治療によって十分に長く生きることが可能となったが、それは「がんを克服した」のではない。がんの勢力を見極め、軍隊がほどよいサイズであるものに適切な治療ができるようになっただけで、大軍であれば今も倒しきることは困難である。また、軍隊とは呼べないサイズのチンピラ集団を「がんだ!」と言って総攻撃するようなことも、結局は国を傾ける。




がんを考えるには、それががんであるという”質的診断”だけではなく、がんがどれくらいのサイズの軍隊なのか、どれくらいの勢力でどこに分布しているのかという”量的診断”が不可欠だ。これはUICC/TNM分類と呼ばれる国際分類や、がん取扱い規約と呼ばれる日本の分類によって細かく調査される。

どこからが「治療に値するがん」なのかというのは、大きすぎてもだめ、小さすぎても不利益、という大変難しい問題。これを解決するには、無数の人を観察し、多くの統計学的処理を行う、数学の力が必要である。




「がんと戦うな理論」は不完全である。

「まだがんになっていない、チンピラ集団に爆弾を落とすな」はおそらく正しい。

「すでに大軍すぎて倒しきることが不可能ながんに爆弾を使うな」もおそらく正しいが、だったら悪の軍隊相手に何もしないでよいのか、という問題がある。すでにこのブログでも2度ほど書いてきたが、相手が強すぎて倒せない場合でも、たとえば川中島で対峙して結着がつかなかった武田・上杉軍の戦争のように、「相手が勢力をこれ以上増やさないように、均衡を保つ技術」というのは存在する。これは「戦わないこと」ではない。「かしこい戦い方をすること」にあたる。

西洋医学は、なんでも爆弾投下する医学ではない。

「がんとうまく戦え理論」だったらもっと多くの人が幸せになるだろう。もちろん、人はいつだって、なぜ悪がはびこるんだ、あの悪人達を一刻もはやく成敗できないものか、と苦しむだろうが、人体という巨大な国を守る国家元首が誰かといえば、それはあなたの脳・知性であり、為政者たるもの「理想はままならないが、最善は尽くせる」というココロモチの元に、やさしい政治をしていただければなあ、と思う次第である。

2017年11月22日水曜日

SFの住人には向いてない

めったに鳴らないスマホが知らないうちに光っているので何事かと見てみたら、Google photoが

「この写真は横向きになっていますが、向きを変えましょうか?」

みたいな通知を飛ばしてきただけだった。



アプリがどんどん便利になって積極的に話し掛けてくる。



北海道に、「まつりや」という回転寿司がある(札幌市内に数店舗、本店はたしか釧路にある)。かつて、この人気店に観光客を連れて行くことになった。ここは相当混んでいて、夕方はたいてい1時間くらい待たないといけないという噂。

アプリで事前に予約など入れられないだろうか、最近はそういうのがあるだろ……と推測し、探してみたら案の定アプリがあった。

「まつりやアプリ」。安直である。

さっそくダウンロードしてみた。まああまり高機能ではなかった。ただ、アプリからたどってWeb予約のサイトにたどり着けたので、よかったねよかったね、となった(でも予約しても結局店で誰かが待ってないといけなかったんだけれど)。



後日、仕事中にスマホが静かに鳴動していたので、どこの物好きからメールだよと思ってスマホを見ると、すっかり忘れて放置していた「まつりやアプリ」からの通知であった。

「本日、ウニが入荷! ○○店にて!」

……これを見て、○○店におしかけて、ウニを食べて、わぁい、かあ……。

すごい時代だなあ。

書店で雑誌の表紙をみて、「あっ、今日はおすしを食べたいな」と思い付くのと、テレビで情報番組をみて、「あっ、中トロうまそうだな」と影響を受けるのと、スマホの通知で寿司に興味が向かうのと、何が違うのかと言われたら、少なくともぼくにとっては何も変わらない。

もちろん、営業をかける方からしたら、不特定多数に物量作戦で発信するテレビのCMよりも、元々この店に興味があってアプリをダウンロードまでした人に営業をかけたほうが、何倍か効率的なのだろう。だからこんなシステムが、地方の回転寿司屋のアプリにまで搭載されているんだろう。




今ぼくは、スマホの通知を「誰かからの連絡だ」と思って見に行く。そして、なーんだ、アプリの通知かよ、と、肩すかしを食らった気持ちになっている。

すなわち、「人かな → なんだ、アプリか」の順番である。今のところ。

けれども、あと10年もしたらぼくは、スマホの通知を見てまず最初に「どのアプリかな」と考えるようになるのかもしれない。

このままスマホが進化したら、IoTに世界が食われたら、スマホはいつもぼくの何かを的確に指摘してくれる相棒となるだろう。おそらく、ありとあらゆる生ける人間よりも、スマホのほうがぼくに話し掛けてくれるはずなのだ。

そしたら、スマホの通知に対する感覚は、「アプリかな → なんだ、人か」に変わっていくのだろうか。




将来、日本はきっとこうなる、みたいな話をずーっとしてきたけれど、ぼくはもうとっくに「これ以上想像できていなかったはずの将来」に住んでいるのであって、今が未来であって、未来に住むぼくは夢の技術を前にして、「人かと思ったらアプリだった」なんてぼやいているのであるなあ。

2017年11月21日火曜日

病理の話(142) 社会的文脈が定義する診断という行為

なぜその治療をするのか? という疑問をないがしろにしてしまうと医療はいろいろゆがむ。

お金をかけて、たとえば入院をして、あるいは通院をして、本来自分が自由に使えたはずの時間を失って、その代わりに得るものは何か?

寿命? 痛みのないくらし? 不安のないくらし?

時間を失って時間を手に入れるような治療、というのもある。「半年入院したことで半年寿命が延びました」。入院中だって人に会ったり考えたりしているわけだから、半年寿命が延びるのならば1年入院したってよい、という考え方もある。しかしここまで来ると要は考え方の問題なのだ。患者によってはそんなことは許されないと考える人もいるだろう。

つまり、治療とか生活維持を目的とした医療というのは、最終的には個人の価値観にかなり左右される。



これに対して、「診断」は医学的に行うものだから、個人の価値観が関与する余地がない……というのは、正しいだろうか?



ぼくは、ときに「診断」も社会的に行われる場合があるよなあと思っている。



何度か書いたことであるが、たとえば半年間で人の命を奪う病気があったとしたらそれはほぼ100%の人が「致死的な、まずい病気」と考えるであろう。

このまま放っておいたら心臓が止まるケガ、というのは誰がみても「命に関わる病態」だとわかる。

しかし、あくまでたとえではあるが、「200年後に確実に人を殺す病気」というのがあったら、それは致死的な病気と呼んでよいだろうか?

そんなものは、きっと、「命に別状がない状態」として扱われるだろう。200年生きることがそもそも(現状では)不可能なのだから。



極論ついでに言う。高度に進化したロボットが意志を持っていたとして、彼らは自らを不死ととらえるだろうか? ぼくは、ロボットも自らを不死だとは思わないのではないかと思う。

「5000年も経つと、サビや破損などの経年劣化で絶対に動けなくなります。人間にとって5000年は悠久の時でしょう、しかしぼくらロボットにとっては、それはあくまで有限、かぎりがある、ということであり、人間と同じように少し遠くに死を感じているのです」

くらいは言うのではないか。



診断というのは実は主観的な、社会的な、文脈的な概念である。

「核が大きいから悪性」というのも方便だ。そこには、人間社会という背景によって「何を悪いとみなすべきか」という文脈が成立しているからはじめて成り立つ意図というものが含まれている。




これをわからないままに診断学をすすめようとすると、どこかで必ず穴に落ちる。

治療、維持、あるいはもっと広く、「その時代が規定する、人生と病気の関係」というものをきちんと考えずに診断をすると……。

ものすごく古い「ことわざ」にひっぱられて、ピントはずれの医療論を語ってしまうことにもつながるのだ。


What's the difference between a physician, a surgeon, a psychiatrist, and pathologist ? The physician knows everything and does nothing. The surgeon knows nothing and does everything. The psychiatrist knows nothing and does nothing. The pathologist knows everything, but always a little too late.


「内科医、外科医、精神科医、病理医の違いを知ってるかい? 内科医はなんでも知ってるけどナンにもしない。外科医はナンにも知らないけど何でもする。精神科医はナンにもわかってないしナンにもしない。病理医は全てを知っているがいつだって少し手遅れだ。」



上にあげたものはまさに、大昔の社会が規定した「医学」であって、今の時代にはまったくあてはまらない。現代において、病理医は全てを知ることはできず、かつ、いつだって少し早めに動くべき職業人なのである。

2017年11月20日月曜日

うイッス

来年以降、研修医とか臨床医が今まで以上に病理の部屋に勉強しにくることが決まり、今、病理検査室の模様替えをしている。

人があんまり多くなるとデスクが足りないのだ。だから、いらないものを整理したり、棚などを配置換えして、むりやりデスクを1個増やしてみた。

新しい椅子もひとつ注文した。



この椅子がコクヨのちょっとしっかりしたやつで、とても座りやすそうなやつなのだ。

それに対して、ぼくの座っている椅子はもうかれこれ30年以上使われているのではないかという古いやつ。



誰もみていないときに、こっそり、新しい研修医用の椅子をぼくのところに持ってきてみた。

ベストフィットである!

いいなあこれ。もらっちゃおう。

いちおうボスに確認してみた。「いいよいいよ 使いなよ」。おすみつきである。

うきうき。



でも何かおちつかない。良心がとがめるから、とかではなく、単純に座面が少し高くて、一番下まで下げてもデスクに対して少し首が下がる体制になってしまう。

これだと……。PC入力時に、首が少し下を向いてしまうのだ。

長年のPC作業で頚椎症もちのぼくにはちと厳しい。



やっぱりこの椅子、返そうかなあ。新しく来る研修医も、きっと、新しい椅子のほうがいいだろうし。



急に善人に戻る。椅子を元の場所にもどそうと思い、穴熊となっているぼくのデスク周りから椅子を運ぶために、エイヤッと持ち上げて……。



腰を痛めて今にいたる。ぼくもうすっかりおじいちゃんだな。それもいじわるじいさんのほう。たくらんで、裏目に出て、痛い目にあうほう。ちっきしょう。





ところで。

昔話に出てくる「おじいさん、おばあさん」というのは、今でいうとおそらく40代後半とか50代であったのではないかと思われる。

当時、平均寿命が短い。出産年齢も若かっただろう。「翁」というのは、必ずしも、現代の我々が想像するような高齢のおじいさんではなかったのではないか、と思う。

また、例えばこぶとりじいさんとか、浦島太郎とか、いくつかの昔話には、実際の疾病をモデルにしたのだろうな、というものがある。こぶとりじいさんのモデルになった病気は、40代でかかりやすい。もちろん、おじいさんがかかってもおかしくはない病気なのだが、「こぶとりじいさん」は今で言えば「こぶとりおじさん」くらいの年齢なのではないか、と思う。




すなわち、今日のぼくがもし室町時代あたりに生きていたら、「椅子じいさん」などとタイトルをつけられて、「いじわるじいさん 腰ひねる」などと後世のこどもたちにわらべうたにされてしまっていたかもしれないのだ。

人間、まじめに生きていかなければだめなのである。とっぴんぱらりのぷう。

2017年11月17日金曜日

病理の話(141) 移り変わる解釈と不変の所見について

時代が進むと、「医学的に重要だったはずのこと」が、少しずつ移り変わっていく。

これはもう、医学の宿命みたいなものなのである。




胃のある病気(すこし珍しいやつ)は、かつて、「大きければ大きいほど転移のリスクが高い」と言われていた。

・その病気が5.5cmより大きいか、小さいか

これがひとつの目安であった。さらに加えて、以下の評価項目を検討せよ、と昔の教科書に書いてある。

・細胞核が頻繁に分裂しているかどうか
・細胞がぎっちりと詰まっているかどうか
・細胞核の形状がやたらととっぴな構造になっていないか
・病変の中に壊死(細胞が死ぬ領域)がないか
・血管の中にもぐりこんでいないか、胃粘膜の中に分け入っていないか

合計6つのリスクファクター。該当項目にマルをつけて、マルの数が多ければ、転移のリスクが高い。



……でも、今、この評価は使われていない。

今はもっと単純化された。腫瘍の大きさと、核分裂数。この2つがあれば十分だと言われている。「Ki-67」という免疫染色の結果を用いてもよいが、これを加えてもせいぜい3項目だ。

なぜか?



時代が進むにつれて、この病気と診断された人の総数が積み重なっていく。去年も何人いた、今年も何人いた、と、症例を積み上げて検討をしていくことができる。

つまりは、後の世の人のほうが、より多くの症例を検討することができる。より切れ味のよい「統計処理」をすることができる。

これにより、「どの因子が、患者さんの将来をよりはっきりと予測しているか」が、より詳しくわかったのだ。だから、昔検討されていたファクターのすべてをチェックしなくても、診断には十分だ、ということになった。

診断が省力化されたのである。





別の病気の話もしよう。

むかし、ある血液系の病気を、A, Bの2種類にわけていた。

しかし、今はもうこの分類は使われていない。AもBもいっしょくたにして検討している。

せっかく分類したのに。

なぜか?

それは、時代が進んで、新しい薬が登場したからだ。

この薬は、AにもBにも、どちらにもよく効く。

この薬が登場する前は、AとBを比べると、Aの方にはより強力な治療をしないと、患者の命があまり長く保てなかった。Bのほうが少しマイルドな治療でよいとされた。

けれど、ある薬によって、AもBも、分け隔てなく「治る」ようになった。

だから、AとBをもはや分ける必要がなくなってしまった。





以上の2つの例を考えると。

実は、最初の例の、「さまざまなファクター」というのは今でも検討することができる。

あとの例の「AとB」を、今でも分類することは可能である。

けれど、今、それを「してもしなくてもいい」ことになった。その労力を省略する分、もっと大事な分類をして、もっと細かい医療を進めていかなければいけない。






昔も今も、「プレパラート上に見えているもの」はさほど変わっていない。

昔の人だってとても優秀だったのだから。

今の人間がみているもののほとんどは、昔の人もみていた。



ただ、時代が進むと、そのときそのときの医療の「積み重ね」や、「新しい診断法」「新しい治療法」、「生活習慣の違いなどが生み出すリスクの差」、「別の病気が治りやすくなったことで高齢化が進んでいること」などがさまざまにからみあって……。




プレパラートにみえている「事実」の、意味が変わる。重みづけが変わる。

それが、冒頭に書いた、医学的に重要だったはずのことが、少しずつ移り変わっていく、ということである。







職場のボスが、病理検査室にあった古い教科書をすべて大事に保管している。

保管場所がなくなってきたので、医局にあるぼくのデスクを解放して、本棚に所狭しと、昔の教科書を並べている。

1950年代の本もある。

ときどきみてみる。今とはけっこう違う。特に、病気の量は今よりもかなり少ないように思う。

けれど、よくよく読んでみると、そこに書いてある「細胞の所見」だけは、今とそう変わらない。

変わったのは解釈のほうだ。「医学的に重要なこと」が移り変わっている。

時代に合わせて解釈を変えていく。

なんだよ、結局、患者は医者の解釈に振り回されているだけなのか……?

違う。

医者の解釈とはそのときの全力だ。将来出るかもしれない優れた薬にあわせて今の診断を変えることはできないし、変える意味もない。あらたなリスク、あらたな予防、あらたな治療が登場するからこそ、診断も時代毎に姿を変えていく。

病理医はそれに翻弄されそうになりながら、それでも、時代を通じて変わらない「所見」を記載して、「現時点で最高の解釈」を記す。それが、今の医療を生きる病理医のすべきことである。

2017年11月16日木曜日

オータムなのかフォールなのかそこをきちんとしてほしい

今年の札幌は秋が長かった。

いつもだと、夏が終わって秋が来たと思った途端に初雪が降り、そこからは雪崩のように冬にまみれていく。

けれど、今年は、一度だけ雪が降ったあと、しばらく暖かな日が続いている。

紅葉を落ち着いて眺めていた時間があった。



日本という国には四季があるからいいよね。

よく聞く言葉だ。しかし実際、春夏秋冬というものは、互いに等価ではない。

北国では冬が長く、春夏秋はいずれも短い。

長い冬のあとにくる短い春に喜びを感じたのは嬉野さんだ。

短い夏のあとに少しだけ長く訪れた秋にぼくは喜んだ。



四季というのはぼくらが思っているよりもずっと適当で、サイクルごとに必ずしも整ってはいないけれど、けれど、何度も何度もまわしてみると、どこかでしっくり四季が揃うタイミングがある。

ぼくは今、どうもそういう、適当な四季の中に暮らしているのだろうという実感がある。

だから時折、まれに、訪れる今のような秋に、ひどく感動してしまうのではないかと思う。

札幌にはもう冬が来ている。記事を書いてからブログに載るまでの一週間で秋は終わってしまった。

2017年11月15日水曜日

病理の話(140) 画像もまたひとつの答えであるから

旧知の放射線技師からメールが来て、ある症例について相談を受けた。

ある疾患の超音波画像やCT、MRIを見比べていたところ、少し珍しく、どうにも解せなかったのだという。

情報を元に、ただちに病理組織を検索し、画像の不思議さについては一定の見解を得た。

おもしろかった(というと患者さんに失礼だが、あえて言いたい、おもしろかった)のはそこからだ。

彼はこう言った。

「画像は珍しいんですけど、病理がぜんぜん普通だったら、どうしようかと思っちゃいました。学会に発表しても、なんだそんなのぜんぜん珍しくないよって、言われたらいやだなあ……って」



ぼくはうなってしまった。

画像が珍しい、不思議だ、と思ったなら、それで学会発表の動機としては十分ではないのか。

病理が平凡だと、そこにたどりつくまでの過程でいくら不思議さがあっても、学会では受け入れられない、というのか。

少なくとも彼はそう思ったわけだが。

実際に、そんなことがあるだろうか。



あるな。



学会発表というのはそういうものだ。新規性、異常性、なにか今までと違うものをこそ、発表して検討する価値がある。それは確かにそのとおりなんだけど、でも、現場に生きている我々が、いつもいつも目新しいものばかりに遭遇するわけではない。

だからこそ。

ちょっとした、日常の、ささいな質問を、大事に大事にふくらませていく場所というのもあっていいのではないか?



ぼくはメールに記す。

大丈夫ですよ、病理も十分珍しいですから。どこかに発表しましょう……。

けれど心の中で、強く思う。




病理は答えの一つでしかない。病理診断が珍しくなくたって、画像が珍しい、不思議だ、おもしろいと思ったならば、それは検討する価値が十分にあるのだ、と。




だって、画像もまた一つの答えなのだ。病理がただ一つの答えだなんてことはない。患者の口から出てくる情報も答えである。診察で得られる理学所見も答え。血液検査だって答えの一面だ。

これらの答えが複合されて、最終的に、

「患者がどうなるか」

「患者をどうできるか」

「患者とどう生きるか」

という命題が、本当の答えとして立ち上がってくるのではないかと思う。病理診断が珍しいとか珍しくないとか、そんなことは、本当のところ、どうだっていいのだ。病理診断がすべての答えなわけがないではないか。





と、病理医がいうと、いろいろ面倒なので、小声で控えめにいうようにしている。

2017年11月14日火曜日

果報少女かどか☆カギカ

「声に出して読みたい日本語」というフレーズ自体を声に出してみたいと思う時がある。

「写真を撮っているカメラマン」を写真に撮りたいときもある。

「応援団」を応援している。

「辛そうで辛くない少し辛いラー油」は……少し辛いラー油、でいいと思う。



何の話かよくわからなくなったが、カギカッコでくくったとたんに、カギカッコの中身を俯瞰したくなる病におかされている。この病はおそらく空気感染する。今の社会にはすでにこの病がすみずみまで侵略していると考えてよい。

ツイートというのは何かにカギカッコをつける作業に近い。

写真が風景を切り取った途端に、写真のほうが現実の風景よりも雄弁になることがあるように。

カギカッコは何かのフレーズを主人公にしてくれる。



だからついカギカッコを多く使ってしまう。ぼくのツイートにはカギカッコの出現頻度がとても多い。かつて、このブログをはじめる際に、ブログでは意識してカギカッコを使いすぎないようにしようと思った。次第にそのことを忘れ、最近また、頻用するようになっている。



何かを強調してみせたい。

だれもが語っていい事実をあえて自分が語るのならば、その切り口にわぁっと喜んでほしいと思う。

だからカギカッコを使う。ぼくはここに着目したんだよ、このフレーズに意味があるんだよと。




吉野朔実が亡くなったあと、ぼくは吉野朔実のbotをフォローした。

彼女のマンガのセリフはすべてカギカッコにくくられているような気がした。

詩人はカギカッコを使わない。

おそらく、声帯よりも唇に近い部分、上咽頭のあたりに、カギカッコフィルターが用意してある。口から出てくることばはどこもかしこも、あますところなく叙情にあふれている。

ぼくは今、どちらかというと、一回もカギカッコを使わずとも人をゆらゆら揺らすことができる人、のほうにとても興味がある。

それはおそらく現実の世界にもSNS上にもほとんどいないのだが、まれに、いる。

かなわないなあ、と思う。無言でフォローして、「いいね」をつける。




いいねはごく個人的にはたらくカギカッコだからだ。

2017年11月13日月曜日

病理の話(139) 直接みられる皮膚科学と病理学

かつて、「わからない」「なおらない」「しなない」、通称「3ない」と言われていた医学がある。それは何かというと。

皮膚科学、であった。

あくまでも「昔」の話である。



皮膚の病気は実に多彩。湿疹(しっしん)ひとつとっても、原因が無数にあり、見た目も微妙に違う。治療がうまく行くケースが比較的少なく、なんだかだらだらと治らないままの状態が続く。そして、命には関わらないことが多い……。

いずれも過去の話だ。診断のレベルがどんどんと上がり、診察の仕方、詳しい検査方法、基礎研究との連携などによって、今や皮膚病はかつてないほどに解析され……。

この価値観は、ひっくりかえった。

「わかる」「なおる」「生きる」である。「3る」。語呂が悪いので流行らないが。



ではこれをひっくり返したのは何か? 医学の進歩、というとちょっとざっくりしすぎている。

ぼく個人の意見ではあるが、皮膚科の診療がこれほど劇的に進歩できた(わからないからわかるへ変化したというのは、とんでもない進歩である)のは、皮膚病が「直接みえる疾患である」ということが大きいように思う。



心臓とか肝臓、肺、血液の病気というのは、医者がどんなに手を尽くしても、結局直接みることができない。だから、診断学は、自然と、「類推の学問」となる。いかに間接的に病気の姿を捉えるか、いかに影絵から本態を見破るか、というところに根幹がある。

これに対して、皮膚は「みえる」。

いかに細かくみるか、いかに詳しくみるか、を突き詰めていくことで、どこまでも診断を深めていくことができる、ということだ。

皮膚は、直接検体を採取することが比較的容易である(審美的な問題はあるのだが)。

病気を遺伝子解析することも比較的たやすい。採ってすぐ解析用の溶液や装置に入れることができるからだ。




ここまでの話、だいぶ簡単に書いている。実際にはそこまで単純な話ではない。しかし、一面の真実は語れているはずだ。




極論する。臨床医学というのは、「できるものならば、皮膚科のように、直接みてみたい」。

直接みたい。近距離でみたい。ありとあらゆる方法を使ってみてみたい。

それができない科だからこそ、さまざまな画像診断が発展するわけで……。

できる科であれば、病気に最接近することはとても役に立つし、ぜひやりたいと思うものなのだ。




極論ついでに言う。

今の時代、胃カメラや大腸カメラを使う消化管医療というのは、少しずつ皮膚科に近づいている。

カメラを使って直接病気に迫っていけるのだから。




実際、今、胃の病気の一部は「まだわからないが、なおる」病気へと変貌を遂げつつある。特に、ピロリ菌に感染していない胃においては、「死ぬ胃癌」よりも「死ぬ前に治せる胃癌」が増えている(個人の感想ではなく、学術的業績の数々がそれを示唆している)。

もちろん、まだまだ、「死ぬ胃癌」の数は極めて多い。そこは勘違いしてはいけない。けれど、「死ぬ前にどうにかできる病気」が胃にもあるのだ、ということが、近年わかってきた。

まるで、皮膚病のようだ。

そして、胃がまるで皮膚のように感じられるのは、胃カメラの発達によるところが大きいと思う。





一方で。

皮膚にも「死ぬ病気」がある。悪性黒色腫などのがんだ。

皮膚がんというのは比較的まれである。湿疹などの、「しなない」病気のほうが極めて大きい。

だからこそ、ときに出現する「死ぬかもしれない病気」をきちんと見つけ出すことが極めて重要である。

胃も、だんだんと、そういう世界になっていくような気がしている。死ぬ病気が珍しいからよかったね、で終わらせてはいけない。死なない病気の中から、死ぬかもしれない病気をピックアップするというのは、かなり高次の診断能力を必要とするのだから、きっちり気を引き締めてかからなければいけないのだ。




「病気に最接近できる領域」において、病気を”きちんと”みるのは医者の使命である。




なお、”最後まで”みるのは、実は病理医の仕事である。




三度目の極論を言う。病理診断学というのは、皮膚科からスタートする学問である。かの有名なAckermanの教科書も、日本語の名著「外科病理学」も、冒頭には皮膚疾患が置かれている。

最接近して、最後までみるのが病理だから。

患者にぐっと近づいたとき、最初に見えるのは皮膚だろう? だから、病理のスタートは、皮膚なのだ。

そして、医学が進歩して、皮膚だけではない、さまざまな臓器に接近できるようになれば、病理医の仕事もまた、深く鋭く進化せざるをえない。





蛇足:

今日の話を一部分だけ切り取られるととても困る。

病気というのは「ひとことで片付けられない」世界だからだ。

深くみる、というのは、「ひとことで片付けられない世界をのぞく」ことでもある。そこのところ、自戒を込めておく。

2017年11月10日金曜日

現実の話をする

夢の話をする。

「脳はいいかげんにできている」という本を読んでいたら、その中に、

「夢というのは嫌な夢のことが多い」

みたいなことが書いてあって、まあ医学的根拠はともかくとして、そういえばそうだなあと思った。

正確な記載は忘れてしまったけれど。

「夢が記憶の定着に役立っているのだとしたら、いやなこと、避けるべきことをきちんと記憶しておいたほうが、生き延びる上では有利なのかも」

みたいなことが書いてあったと思う。



いい夢をまったく見ないわけではないが、確かに、6:4くらいで、なんだか嫌な気分になったり、不安になったり、さみしくなったりする夢を見ているなあ、と思う。

これは、ぼくだけ、あるいは一部の人だけにあてはまる現象なのだろうか。それとも、多くの人にあてはまる、普遍的な傾向なのだろうか。

もし、「夢は基本的にちょっとだけ悪夢」が、多くの人にあてはまるのだとしたら……。

夢という言葉は、自然と、ネガティブな言霊を帯びたはずだ。

けれど、現実には、夢は将来とか未来とか希望といった、ポジティブなニュアンスをまとった言葉であるように思う。




ぼくは今39歳だがいくつかの夢があり、そのうちのひとつをこないだ夢にみた。

ところが絵に描いたような悪夢で、これが俺の夢なのかよ、と、目覚めたときに少し切ない気持ちになり、そうだな、夢の話に暮らしてはだめだ、夢を現実にしようとする力こそがぼくを推進させてくれるのかもしれないな、と思った。

それっきり忘れていた。

今朝、夢に息子が出てきて、目覚めたあとに偶然、現実の息子からlineが来た。……ああやはり、良い夢よりも良い現実のほうがはるかに良いよなあ……と、思ったのだ。

2017年11月9日木曜日

病理の話(138) 病理医のバイアスと問いまくられた経験

人というものはなかなか頑固な生き物で、自分の目で見るまでは信用できない、などと言う。

逆に、自分の目で見たものを過剰に信奉してしまうこともある。

実は、病理医あるある、である。

たとえば……。


とある肝臓のがんは、ときおり、肺に転移する。

ではどれくらいの頻度で転移するか?

しょっちゅう、とは言えない程度。

たまに、くらいかな。



ところが、病理医から見ていると、「肝臓のとあるがんの肺転移」というものは、めったに目にしない。

だから、「肝臓のとあるがんは、めったに肺転移を来さない」と言いたくなってしまう。

臨床医と話してみると、イメージよりもはるかに「肝臓のとあるがんの肺転移」は多いらしい。しかし病理医をやっていると、めったに経験しない。この差はなぜ出てくる?




かんたんなことだ。

「肺に転移した肝臓のとあるがんは、手術で採ってくることがめったにない」

からである。

「肺に転移があるとわかった時点で、手術以外の治療を選択する」

と言い換えてもよい。


病理医は、手術などで採ってきた臓器をみるのが仕事だから、手術にならなかったケースについては、普段あまり見ていない。だから、経験できない。



なーんだそんなことかあ。

でもこれは根の深い問題なのである。

 

「病理医としての経験から申し上げますが、最近、子宮の病気の数が減りましたねえ」。

ほんとうだろうか? 実は、その病院で、手術ではなくレーザー治療を積極的に行うようになったから、病理に提出される手術材料の数が減っているだけではないか?

「最近は早期胃癌の頻度がとても増えていますね、進行癌なんて2割も見ないです」

ほんとうだろうか? その病院の外科医の数が減っていて、進行癌の手術をほかの病院に送っているだけではないか?

「○○の○○病の診断は極めてかんたんです。病理で誤診するなんてまずありえませんよ」

ほんとうだろうか? その病院の臨床医がとても優秀だから、病理にお鉢が回る前に診断が9割がた決まっているだけで、他の病院で診断すると実はとても難しい、ということはないか?

「○○病の診断には○○という免疫染色が有効ですね、ぼくはこれでだいぶ診断を決めていますよ」

ほんとうだろうか? たまたま、「落とし穴」となりうる難しい症例を経験していないだけで、診断がかんたんだと思いこんでいるだけではないか?




ほんとうだろうか?
ほんとうだろうか?
ほんとうだろうか?

三度くらい問い返す。手を変え品を変え。時間も場所も変えながら。問い直す。自分の胸に問う。



ぼくが「医学的に正しい」と思っていることが、実は自分の経験によって、すなわち自分の目によって、「歪んだもの」である可能性は、ないだろうか?



経験は手技を迅速にする。

経験によって行動の最適化がなされる。

経験がないときに比べて、経験があるときのほうが、早く自分の思い通りの場所にたどり着ける。

経験とは、そこまでの価値だ(まあ十分ではあるが)。

真実に、科学に、肉薄すべき病理医は、経験によって裏打ちされた真実とやらを、常に問い直すべきである。

「問いまくられた経験」こそが、研磨されたダイヤモンドに匹敵しうるのだ。

2017年11月8日水曜日

脳だけが旅をする

大学時代、ときおり、寝台列車に乗った。

……スマホで「しんだいれっしゃ」と入力しても、一発では変換されない。昭和は遠くなりにけり、である。

知らない人もいるだろう。

普通、列車というものは、真ん中に通路があり、両端に座席がある。

これに対し、寝台列車の場合は、列車の片側に通路があり、窓に面している。そして、もう一側にコンパートメントが並ぶ。

ハリー・ポッターなどを見ていると、欧米の列車というのはだいたい、通路が片側にあって、コンパートメントがもう片方に寄っているが、あんなかんじだ。

寝台列車のコンパートメントの中には、座席の代わりに、二段ベッドが二組ずつある。

どこも、ひどく狭い。

上の段であぐらをかけば、天井に頭が触れるくらいのやつだ。



ぼくらはこの寝台列車に乗って、秋田、岩手、山形などに遠征をしたのだった。剣道部時代の話。

大学生は酒ばかり飲む生き物だが、狭くて揺れる寝台列車では、なぜかみな、無口になり、酒もそこそこに寝台のカーテンを閉め、あるいは夜中にこっそり起き出して、通路の小さな非常座席をひっぱりだして、窓の外に広がる漆黒をだまって見つめて、やはり眠れなかったのであろう上級生に、「まあ、ほどほどにな」とか言われながら、まどろむタイプの夜更かしをしたものだった。

「深夜特急」を、寝台で読むのが最高だったのだ。

どうせ、暗くて、読めたものではなかったが……。






先日、とても狭いホテルに泊まった。

なんだかとても懐かしかった。

リネンが信用できない感じ。

となり近所のおじさんたちの寝息が聞こえるような錯覚。

ぼくは学生時代の寝台列車を思い出しながら眠った。

こういう時の夢というのは本当におもしろい。

会いたくなかった人たちがピンポイントで出てくる。

狭いホテルというのは旅情をかきたてる。

タバコ臭いバスタオル。

音がうるさい換気扇。

壁しか見えない夜景。

ダイヤモンドの形にぺこぺこにした、缶ビールの空き缶。

しまいづらい冷蔵庫。

夜通し、失恋を語っていた男。

中年にしか見えなかった当時の先輩が、今の自分より14も若かったのだということ。

ぼくは当時、何もかもわかっているくらいに、多くの言葉を使っていた。

夜の雲も意外と見える。

ラムをコーラで割る。

サザンが好きな店主。

寝台列車で読んだ本。

旅先で撮った写真。

一枚も手元に残しておかなかった写真。

ぼくは狭いホテルの一室で写真を撮った。

どうせ現像もしないのだ。だってぼくは、22歳の日々をこんなに覚えているけれど、30歳の日々も、35歳の日々も、もうなんにも、なんとも思っていないのだから。

2017年11月7日火曜日

病理の話(137) 一眼レフとルーペ

ミクロの世界は顕微鏡でないと見られない、というイメージがあるが、実際、人の目はものすごいので、ふだん顕微鏡を使って見ている情報のほとんどは、

「よくよく見ると、肉眼でも見える」。

よくよく見ようと思うと、ホルマリンにひたしたあとの臓器に、目をぐっと近づけなければならない。水洗いしてから見ればほとんどにおいはのこらないが、それでも刺激物であるから、ゴーグルをしてマスクをして……。

ま、ちょっとだけめんどうである。けれど、今はとてもよいものがある。

デジカメだ。それも、マクロレンズを装着したやつ。

目を皿のようにしてじっくり見るのもいいけど、デジカメできれいに写真を撮ってから、それを拡大すれば、とてもよく見える。



具体的にどれくらい見えるか。

そうだなあ。

毛穴は余裕で見える。

胃の粘膜や大腸の粘膜の表面にあるつぶつぶも、ま、普通に見える。

肝臓は、漫然とながめていると、「詰まった臓器」に見えるが、目をこらして(あるいはデジカメで撮影して拡大して)ぐっと見ると、詰まった実質の中に走行する、細かい胆管や門脈、動脈の枝が、きちんと見える。

肺は、本気を出すと、肺胞まで……はちょっと大げさかな、けれど、気道のごく細かい部分までは、見ることができる。




顕微鏡がなくても、「セミ・ミクロ」の構造までは、なんとか見ることができる。

昆虫学者が蝶の羽を虫眼鏡で眺めるように、病理学者も昔はルーペを手にしていたという。

ぼくのデスクにも、ルーペが置いてある。ボスからもらったやつだ。

今はデジカメが強力なので、あまり使わなくなってしまったけれど……。

たまーに、取り出して、使うこともある。




昔の臨床医は、ルーペを片手に検体に向き合う病理医を見て、なんだか、オタクっぽいと思っていたろうな、と思う。

わざわざホルマリンくさい臓器に目鼻を近づけなくても、さっさと顕微鏡を見ればいいのに、と。

なんかああいうチマチマしたものを見るのが好きなやつらなんだな、と。









今、臨床医の目は、すみずみにまで行き渡るようになった。

CTやMRI、超音波検査などの「解像度」は昔とは比べものにならない。内視鏡だって、拡大内視鏡だけではなく、超拡大内視鏡なんてものまで現れてきている。

技術の発展によって、マクロの世界で診断していた臨床医たちが、少しずつ、ミクロの方に手を伸ばしてきているのがわかる。

そんな、診断学の最前線にいる臨床医たちと話をしていて、先日、「ぼく、今でもときどきルーペ使いますよ。ボスにもらったんです」と言ったところ……。




「おお、いいねえ! やっぱ顕微鏡だけじゃなくて肉眼もきちんと見てくれる病理医のほうが、ぼくらと『オーバーラップする部分』が多いんだよなあ!」

と言ってくれた人がいた。

オーバーラップ。

マクロからミクロに手を伸ばす臨床医がいて、ミクロからマクロに手を伸ばす病理医がいると、お互いが手に触れている領域がだんだん広がることになる。

臨床医と病理医、それぞれの目に触れる部分というのは、きっと、どちらかしか見ない、わからない領域に比べれば、「めっちゃ見られている」。「しっかり解析できる」。「見逃しも少なくなる」。




うん、そうだな、顕微鏡はぼくらの武器だけど、ルーペもきちんと使っていくことも、大事だよな。

今、ふと、ルーペを見たら、ほこりをかぶっていた。いかんいかん。デジカメのことばかりほめてごめんな。

2017年11月6日月曜日

母への手紙

あっ! そういえばぼく今ゲームしてないわ!

ってなった。卒業である。39歳で卒業。

記念だ。母親に電話しよう。

思えば小学生のころから、母親に、

「いつまでもピコピコファミコンしてないでそろそろやめなさい。高橋名人も1日1時間って言ってたでしょ」

と言われていた。

みんな持ってるからと言ってスーパーファミコンを買ってもらい、クラスメートが次から次へと遊びに来るのを見た母親に、

「みんな持ってないじゃない!」

と怒られた。

中学の卒業寸前に、同級生の家に10人くらいで泊まりに行って、その男の子の親が出かけていないのをいいことに、一晩中「プライムゴール」のPK戦をやっていた。ACアダプタが焼けそうになった。

高校のとき、塾から帰ってきてちょろっとFFをやったりしたが、さすがに受験前にはゲームをやめていた。母親には

「ようやくピコピコやめたねえ」

と言われた。でも、大学に入ってまたゲームをするようになったので、

「大学生になってもファミコンやるの!」

と驚かれたが、いや、プレステだから、と答えた記憶がある。

大学院になってもやっていた。プレステ3は初期ロットの60GBのやつを買った。

社会人になってもやっていた。さすがに据え置きゲームをやる頻度は減ったが、それでも、最近ではスプラトゥーンをやったし、Switchのゼルダもマジ最高だった。




それが。

ゼルダをクリアし、スプラ2に移行したはよいが。

出張に加えて論文と書籍の執筆がたのしくて、職場で仕事をしている時間以外にもなんだかいろいろPCに向かうようになって……。

それはそれとしてマンガを読んだり本を読んだりはやめないでいたら……

今、ゲーム、自然と、やってない!!

やる気も、しなくなってる……!

ついに。ついに。33年越し。

ぼくはゲームをやりたいという気持ちを失った。




ああ!

ぼくはこのまま一生ゲームをやりながら過ごすのだと思っていた。

ゲームはカレーライスと一緒だと思っていたけれど。

しばらく食べない日があったとしても、いつか知らないうちにまた食べている、そんなものだと思っていたけれど。

嫌いになることなんてない、ちょっとご無沙汰しているだけだ、と思っていたけれど。

ゲームを、離れた。もう、ゲームのない暮らしがこのまま続いても、大丈夫だ! そんな気がするんだ!!





と、知人に力説したのが、たしか10月26日。よく覚えている。

翌日、10月27日が、スーパーマリオオデッセイの発売日だったからだ。よく覚えている。ぼくは、出勤する直前にそれをダウンロードして、帰宅してから次の日の朝までずーっとやっていた。覚えている。





「母さんぼくはもう忘れちまった

腐った名前と恋に落ちた

そうさ金曜は適当に終わった

今日はちょっと前に進め

心配ない」

(LOSTAGE/手紙)

2017年11月2日木曜日

病理の話(136) リズム隊が聞こえるようになるとバンドが好きになる

病理はおもしろいねえ。そう言った呼吸器内科医がいた。

「そうですね。病理はおもしろいです」

ぼくは答えた。彼は言葉を継ぐ。

だってさ、CTで見たなんかよくわからん影がさ、病理見てからもう一回見直すと、なんか読める気になるんだよ。あれ不思議だよなー。



よく言われることである。



CTで肺を見た時に、ごく小さな、「すりガラスごしに向こうを見るかのような」、”白み”があるとする。

これを、「ああ、何か白く見えるなあ」で終えてしまってよいならば、医療者という仕事は必要ない。

・その白みはなぜすりガラスのように見えるのか?
・なぜ油絵のようにゴキッとはっきり白くうつらないのか?
・ゴキッとはっきり白くわかりやすい結節と、すりガラス越しの不思議な病変とはどう違うのか?

これらに疑問をもってから、たった一度でいい、それぞれの病気の病理組織像を見ておくと、CTの像の違いを生み出している細胞の違いというのがスコンと見えてきて、

スコンと腑に落ちる。

何度も見れば必要はない。どこかの段階で、一度だけ見ればいい。




何度も見るのは病理医の仕事だ。毎回、病変毎に、ニュアンスの違いを受け取り、昨日の症例と今日の症例と明日の症例ではどこが違うかをきちんと評価する。細胞を用いて診断するというのはそういうことだ。

ただ、臨床医にとっても、「生涯で一度だけ」顕微鏡像を見ることに、とても大きな意味がある。

その意味とは。




「自分と違うメソッド(やりかた)で、病気を違う角度から見て、診断している人がいること」に気づくこと。

そして、

「自分と違うメソッドをいったん経験することで、自分のメソッドの利点が、よりはっきりわかるようになる」ことである。




組織病理というのはあくまで二次元の情報だ。プレパラートには4μmの厚さしかない。ルパン三世に出てくる石川五ェ門が、斬鉄剣で車をスパッと切ったら断面が見えるだろう。あの断面だ。断面だけで勝負する。

一方、CTも、基本は「スライス」だ。断層画像とも言う。

断面の観察だけなら、CTの解像度はとても病理にかなわない。病理はマイクロメートル単位で見ているのだから。

そんな「病理の解像度」を知ることは、CTを読む上で、役に立つ。

「病理を目標に見る」ことができると、CTの読影力も上がる。




ぼくは、この関係、何かに似ているような気がするなあと考えていた。

そして、ひとつ思い付いた。




好きなバンドのCDを聴いていて、最初は、ボーカルの声質とか、メインのギターリフをかっこいいと思うんだけど。

一度、ライブを見に行くと、ボーカルとかギターだけじゃなくて、ベースとかドラムの動きが目に入って。

目の前で演奏しているベーシストやドラマーを見ながら、ああ、こんな演奏してたんだな、こんな音をあわせてたんだな、ってのがわかるようになって。

帰ってきてからもう一度音源を聴くと。

ベースの音がはっきり聴こえるようになっていて。

ただのリズムだったドラムも、音色のおもしろさがなんだかわかるようになって。叩いているところが目に浮かぶような気がして。

「リズム隊」の存在感が見えてきて。

バンドと音楽がもっと好きになるような……。




あんな感じかもしれないなあ、と思いついた。




臨床医は、一度、病理を見るといいと思う。ライブに来ると音楽がもっと好きになるように。病理に来ると臨床がもっと好きになれるかもしれない。生涯に一度でいいとは思う。もっとも、ライブに一度だけ行く人というのは、ぼくは今まで聞いたことがないけれども。