今年はなんとか3本論文を書けた。うち、投稿してすでに受理され掲載までされたものが1本。1本はさきほど投稿を終了した。もう1本は、年内に投稿先を決める。共著者の臨床医たちにもお伺いを立てなければいけない。
数年前には一人で論文を書くなんて夢物語だと思っていたけれど。
イヤイヤながら、押し出されるように、しょうがないなあと言いながら、書いているうちにどうもスキルのようなものを身につけることができたようだ。
今では、次の論文を書く自分を想像することができる。もちろん、まだまだ、手間がかかってしょうがないけれどもだ。
こういうことをずっと繰り返しているような気がする。
決して能動的に、自分から何者かを成し遂げようとし続けてきたわけではないし、実際に完遂できた仕事というのも極めて少ないぼくだが、
「いつの間にか退路がなくなっていた」
「気づいたら歩かされていた、歩かされていることも忘れて歩いていた」
ということが毎年少しずつ増えている。
望むか望まざるかに関わらず、いつしか種のような、卵のようなものがどこかからかぼくの体に植え付けられていて、自分のキャラクタを食い破って、なんだか羽化をさせられて、よたよたと飛んでいる。
「中動態」というやつだろうか。自分だけではどうにもならない外界の力と、自分から発したかもしれないがよくわからないエネルギーとが、自分の中に回帰して、自分を勝手に突き動かす。歩かさる(北海道弁)。
やろうと思ってやりました、なんてわかりやすい話ではない。
な、なぜかわからないんですけど、やることになっていました、やっているうちに慣れました。
そんなことばかりだ。
以下、前にも書いたことがある話だと思うが、解釈が増えたのであらためて書く。
「ぼのぼの」というマンガの中に、
「もしかして、オトナって、かくれんぼの鬼みたいなんじゃないだろうか。
なんとなく似ていると思う。
『さあ、見つけに行かないと』と思うところなんかすごく似てると思う」
というセリフがあって、ぼくはあれがとても好きだ。
いつも「さあ、見つけに行かないとな」と言って、しぶしぶ動き出す。
オトナは中動態の鬼なのだと思う。ぼくは最近、「さあ、そろそろ書かないと」と言って、論文を書いた。