めったに鳴らないスマホが知らないうちに光っているので何事かと見てみたら、Google photoが
「この写真は横向きになっていますが、向きを変えましょうか?」
みたいな通知を飛ばしてきただけだった。
アプリがどんどん便利になって積極的に話し掛けてくる。
北海道に、「まつりや」という回転寿司がある(札幌市内に数店舗、本店はたしか釧路にある)。かつて、この人気店に観光客を連れて行くことになった。ここは相当混んでいて、夕方はたいてい1時間くらい待たないといけないという噂。
アプリで事前に予約など入れられないだろうか、最近はそういうのがあるだろ……と推測し、探してみたら案の定アプリがあった。
「まつりやアプリ」。安直である。
さっそくダウンロードしてみた。まああまり高機能ではなかった。ただ、アプリからたどってWeb予約のサイトにたどり着けたので、よかったねよかったね、となった(でも予約しても結局店で誰かが待ってないといけなかったんだけれど)。
後日、仕事中にスマホが静かに鳴動していたので、どこの物好きからメールだよと思ってスマホを見ると、すっかり忘れて放置していた「まつりやアプリ」からの通知であった。
「本日、ウニが入荷! ○○店にて!」
……これを見て、○○店におしかけて、ウニを食べて、わぁい、かあ……。
すごい時代だなあ。
書店で雑誌の表紙をみて、「あっ、今日はおすしを食べたいな」と思い付くのと、テレビで情報番組をみて、「あっ、中トロうまそうだな」と影響を受けるのと、スマホの通知で寿司に興味が向かうのと、何が違うのかと言われたら、少なくともぼくにとっては何も変わらない。
もちろん、営業をかける方からしたら、不特定多数に物量作戦で発信するテレビのCMよりも、元々この店に興味があってアプリをダウンロードまでした人に営業をかけたほうが、何倍か効率的なのだろう。だからこんなシステムが、地方の回転寿司屋のアプリにまで搭載されているんだろう。
今ぼくは、スマホの通知を「誰かからの連絡だ」と思って見に行く。そして、なーんだ、アプリの通知かよ、と、肩すかしを食らった気持ちになっている。
すなわち、「人かな → なんだ、アプリか」の順番である。今のところ。
けれども、あと10年もしたらぼくは、スマホの通知を見てまず最初に「どのアプリかな」と考えるようになるのかもしれない。
このままスマホが進化したら、IoTに世界が食われたら、スマホはいつもぼくの何かを的確に指摘してくれる相棒となるだろう。おそらく、ありとあらゆる生ける人間よりも、スマホのほうがぼくに話し掛けてくれるはずなのだ。
そしたら、スマホの通知に対する感覚は、「アプリかな → なんだ、人か」に変わっていくのだろうか。
将来、日本はきっとこうなる、みたいな話をずーっとしてきたけれど、ぼくはもうとっくに「これ以上想像できていなかったはずの将来」に住んでいるのであって、今が未来であって、未来に住むぼくは夢の技術を前にして、「人かと思ったらアプリだった」なんてぼやいているのであるなあ。