病理はおもしろいねえ。そう言った呼吸器内科医がいた。
「そうですね。病理はおもしろいです」
ぼくは答えた。彼は言葉を継ぐ。
だってさ、CTで見たなんかよくわからん影がさ、病理見てからもう一回見直すと、なんか読める気になるんだよ。あれ不思議だよなー。
よく言われることである。
CTで肺を見た時に、ごく小さな、「すりガラスごしに向こうを見るかのような」、”白み”があるとする。
これを、「ああ、何か白く見えるなあ」で終えてしまってよいならば、医療者という仕事は必要ない。
・その白みはなぜすりガラスのように見えるのか?
・なぜ油絵のようにゴキッとはっきり白くうつらないのか?
・ゴキッとはっきり白くわかりやすい結節と、すりガラス越しの不思議な病変とはどう違うのか?
これらに疑問をもってから、たった一度でいい、それぞれの病気の病理組織像を見ておくと、CTの像の違いを生み出している細胞の違いというのがスコンと見えてきて、
スコンと腑に落ちる。
何度も見れば必要はない。どこかの段階で、一度だけ見ればいい。
何度も見るのは病理医の仕事だ。毎回、病変毎に、ニュアンスの違いを受け取り、昨日の症例と今日の症例と明日の症例ではどこが違うかをきちんと評価する。細胞を用いて診断するというのはそういうことだ。
ただ、臨床医にとっても、「生涯で一度だけ」顕微鏡像を見ることに、とても大きな意味がある。
その意味とは。
「自分と違うメソッド(やりかた)で、病気を違う角度から見て、診断している人がいること」に気づくこと。
そして、
「自分と違うメソッドをいったん経験することで、自分のメソッドの利点が、よりはっきりわかるようになる」ことである。
組織病理というのはあくまで二次元の情報だ。プレパラートには4μmの厚さしかない。ルパン三世に出てくる石川五ェ門が、斬鉄剣で車をスパッと切ったら断面が見えるだろう。あの断面だ。断面だけで勝負する。
一方、CTも、基本は「スライス」だ。断層画像とも言う。
断面の観察だけなら、CTの解像度はとても病理にかなわない。病理はマイクロメートル単位で見ているのだから。
そんな「病理の解像度」を知ることは、CTを読む上で、役に立つ。
「病理を目標に見る」ことができると、CTの読影力も上がる。
ぼくは、この関係、何かに似ているような気がするなあと考えていた。
そして、ひとつ思い付いた。
好きなバンドのCDを聴いていて、最初は、ボーカルの声質とか、メインのギターリフをかっこいいと思うんだけど。
一度、ライブを見に行くと、ボーカルとかギターだけじゃなくて、ベースとかドラムの動きが目に入って。
目の前で演奏しているベーシストやドラマーを見ながら、ああ、こんな演奏してたんだな、こんな音をあわせてたんだな、ってのがわかるようになって。
帰ってきてからもう一度音源を聴くと。
ベースの音がはっきり聴こえるようになっていて。
ただのリズムだったドラムも、音色のおもしろさがなんだかわかるようになって。叩いているところが目に浮かぶような気がして。
「リズム隊」の存在感が見えてきて。
バンドと音楽がもっと好きになるような……。
あんな感じかもしれないなあ、と思いついた。
臨床医は、一度、病理を見るといいと思う。ライブに来ると音楽がもっと好きになるように。病理に来ると臨床がもっと好きになれるかもしれない。生涯に一度でいいとは思う。もっとも、ライブに一度だけ行く人というのは、ぼくは今まで聞いたことがないけれども。