ぼくらの体はすべて、1個の受精卵が分裂してできあがったものだ。
なんというか気の遠くなるような話である。
ブルゾンちえみの言うことにゃ、体の中には60兆くらい細胞があるそうだが、その60兆がすべて1個の細胞に由来しているというのだ。
女王バチがぜんぶのハチを産んだんですよー、みたいな話を聞いて、ヒェッ……と思ったりしていたが、なんのことはない、(昔の)ぼくのほうがよっぽどがんばっていたんじゃないか。
受精卵もまた1個の細胞である。「核」がある。核にはDNAが入っている。DNAには人体の設計図……というか、人体をコードするプログラムが「すべて」入っている。
すべてだ。
受精卵の中のDNAを読み解くと、そこには、「汗をつくる細胞」になるためのプログラムも、「筋肉として伸び縮みする細胞」になるためのプログラムも、「胃酸を出す細胞」になるためのプログラムも、「目の透明な部分」をつくるためのプログラムも、ぜーんぶ入っているのである。
なんだかすごい話だ。
受精卵を新入社員に例えてみれば、その「異常さ」がわかる。
新入社員は普通、入社時にはどの部署に配属されるかわからない。営業? 人事? 経理? どこで働くことになったとしても、その部署に入ってから、先輩とか先輩が残したマニュアルとかに従って仕事を覚えていく。
けれど、受精卵は、入社の段階で、「すべての部署のマニュアル」を持っている。これはすごいことだ。
しかも、よく考えたら、「入社の段階」どころか、会社がないのだった。
受精卵はひとりで荒野に立ち、そこで分裂して同僚を増やし、会社を作り上げてしまうのだ。
ああ、だったら、「全部のマニュアル」をもって産まれてこないといけないよなあ。
聞く相手もいないわけだから。
同僚すら自分で作っていかなければいけないのだから。
……と、このたとえ話を進めていくと。
いろいろと、生体内で細胞がやりくりしている様子が、わかるようになる。
まず、受精卵の段階で、いきなり「人事」とか「営業」のプログラムをひもとく必要があるだろうか?
ない。それどころではない。まずは同僚を増やさなければいけないだろう。
つまり、「細胞はまず第一に、増殖するところからスタートする」。
そして、社員が十分にて、分業が進み、部署が完成したら。
毎回、万能の新入社員をリクルートするよりも、最初から「営業向きの人」とか「経理が得意な人」を、部署ごとに登用した方が楽だろう。
だから、部署ごとに社員を増やす。このとき、たとえば「胃」という部門で増える細胞は、最初から、「胃で働くように特化している」。「肝臓」という部門で増える細胞は、最初から、「肝臓ではたらくためのマニュアルだけを稼働させる」。
分業が進んでいるのだ。生命科学のことばでは、分業ではなく、「分化」と呼ぶ。
これらはすべて「正常の細胞」で起こっていることである。
逆に言うと、「病気の細胞」、特に「がん細胞」では、「プログラムのひもとき方」が間違っている。
今そこで増えるなよ、というところで増えるし、ちゃんと分業してくれよ、適材適所でいてくれよ、というタイミングで決まった仕事をしてくれない。
増殖異常、分化異常。
裸一貫、一代で巨大な企業をつくりあげたぼくらの受精卵は、ご苦労なことにすべてのプログラムをもって産まれてきた。同僚を増やし、代を重ねるごとに、この部門ではプログラムの何ページを使おう、こっちの部門ではプログラムの何章を使おうと、細分化して分業を重ねていくけれど、ぼくらの細胞は今この瞬間にも、核の中にすべてのプログラムを大事にしまい込んでいる。
そのプログラムを間違ってめくってしまうとき。たとえばがんが生じるわけで。
「あっ、こいつ、プログラム変な開き方してる!」
と気づくために行うのが、「顕微鏡で細胞の核を見る」ということなのである。