なんだこれは。
ふくれあがった核は輪郭がでこぼこで、核膜の厚さも一定せず、大量のクロマチンによってどす黒く染まっている。ひとつの細胞の中に複数の核があることも。悪性であることはまちがいない。いずれ人を殺す細胞である。
しかし、どんな腫瘍であるかが判然としない。
特定の方向への「分化」があるようで、ない。普通の腺癌ではない。普通の扁平上皮癌でもない。
……。これは、わからない。
わからないけれど、臨床医はもっとわからない。
患者はもっともっとわからない。
これは病理の仕事なのだ。
背景の血管が不思議に動かされている。
細胞のカタマリの中に、壊死がみられる。
細胞の配列に特徴があるか……?
免疫染色を多数行う。どれかひとつふたつ、タンパク質の発現によって、この奇妙な腫瘍の「正体」が見つからないだろうか。
特殊染色も行う。グリコーゲンの分布は。粘液の微小な産生がないか。細網線維の増加パターンは。
どうしてもわからない。
教科書をひっぱりだす。Enzinger, Ackerman, Sternberg, AFIP atlas, 外科病理学, 腫瘍鑑別診断アトラス……。
すべてのページをめくる。
数千枚の写真を、ザッピングするように目の端に映していく……。
あった。あった。これだ。
たぶんこれだ。
本文を読む。10数項目の組織所見。一致。一致。これは一致しない。一致。これはどっちともとれる。一致……。
染色体検査が必要かもしれない。
大学に依頼をする。メールを打つ。
さらに免疫染色を追加する。
ぼくはひとりのちっぽけな病理医で、所詮、病のすべてをわかるわけもない。
知らない病気だってある。
見たことのない腫瘍も出てくる。
ぼくは最高の病理医ではないかもしれない。ぼくは病に勝てないかもしれない。
けれど、医学の歴史と集合知は負けんぞ……。
ゴリの顔を思い浮かべながら診断に潜る。臨床医が笑っている。患者の笑顔まで引きずり出せばようやく勝利である。