「モニタリング」をたまに見る。帰宅が間に合わないときには、「桜井有吉・夜会」を見る。
だいたい、ゲストが、そのクールのドラマの主役だ。
はいはい、番宣番宣。
けど、まあ、これだけ若くて足が長くて顔のちっちゃいモデルさんみたいな俳優・女優ばかりが次から次へとドラマに出る時代だ。
正直、番宣でバラエティに出てきてくれないと、ドラマがはじまっても、「……誰?」となってしまう。
番宣で何度も何度もいろんなバラエティに出てくれるから、同じような顔をした若い俳優を、少しずつ覚えていけるのだ。
最近、こういう風に感じることが、なんだか多くなった気がする。
「テレビのやることにまかせておいても、ま、いっかな」
昔は、もうすこし、とがっていたんだけどなあ。
テレビのやることは商売だからさ。
テレビ局に得になることは伝えるけど、損することはぜったい伝えないよな。
事務所のひいきとかひどいんだろ?
裏で利権がさあ。
なんだかもうめんどくさくなってしまったのだ。
だって、そんなの、テレビに限った話じゃない。
ぼくのやることは商売かもしれない。
ぼくが得になることは伝える。損することはそこまで伝えない。
ひいきも利権もあるかもしれない……。
なんにも「信頼できない」時代だからこそ、なんかうまいこと、自分にハマる現象をみつけて、
「そういうとこ、ぼく、ありがてぇな」
って、部分的にでも信頼しないと、なんにもできねぇんだよなあ。
そうか、今気づいたけれど。
ぼくは、「全幅の信頼」みたいなことを言わなくなった。
どれだけ仲が良いとしても、どれだけ尊敬しているとしても、どれだけあこがれているとしても、「信頼」しているのは、その人の一部分だけでいい。一部分だけでも信頼できれば十分なのだ。
「すべて」をどうこうしようなんて、おこがましいんだよな……。
自分自身も、一部しか信頼できない、それでいいんだよと、20年くらい前の自分に伝えたい。
「わかってらあ」と言うかもしれない。だって、当時は、誰も信頼していなかった。