2020年2月25日火曜日

病理の話(417) 肝生検を見る

大腸ポリープ、乳腺針生検、肺生検と、病理で実際にどういうことを見ているのかみたいなシリーズをとうとつに始めている。なんか最初は適当だったのだけれど、これ、このままシリーズ化したらどこまで行けるのかな、とおもしろいので、これからもしばらく続けることにする。



で、肝臓だ。肝臓にも針を刺して、細胞をとってくる場合がある。それを病理医がみる。となったらもちろん読者のみなさんは、「今度は肝臓のがんの話をするのだな」と思うのではなかろうか。

でも違うのだ。肝臓のがんは滅多に針で刺さない。

肝臓にできたカタマリを、がんかがんでないかと判断するのは、近年ではたいていの場合、というかほとんどの場合、CTとMRIと超音波でやってしまう。病理で細胞をみるところまではやらない。これにはさまざまな理由があるのだけれど、一番ざっくりと説明するならば、「CTとMRIと超音波を駆使することで、十分に精度高くがんかどうかを判断できる」からである。結局ぼくらが診断という行為でやっていることは未来予測なので、未来が十分に読めて、その後の行動方針が決まるのであれば、必ずしも病理診断に「絶対」を求めなくてもいいのである。

では、病理医は肝臓の「針生検」で、何をみるのか?

答えは、「肝炎」である。(肝炎しか見ないわけじゃないけど今回のテーマは肝炎にする)




肝臓は沈黙の臓器などと呼ばれているがそもそもあらゆる臓器は基本的に沈黙している。うるさい臓器なんてものは声帯くらいのものだろう。冗談はさておき、肝臓は人体の中で最大の臓器であり(脳もだけど)、非常に多くの役割を果たしていて、栄養の貯蔵、毒素の分解、さまざまなタンパク質の合成など、例えるならば工場と市場とゴミ処理場が一緒になったみたいな、フリクリで町の外れに経っていた謎の工場みたいな(この例えはわかる人だけでいいです)、かなり無敵感の強い最強臓器である。

で、この肝臓は、ほかの臓器とはいろいろな意味で異なっているというか高機能なのだけれど、特に、「再生能力」を持っているというのがすごい、普通の臓器は一度壊れたら壊れっぱなし、あるいは再生するにしてもそのスピードは相当遅くてなかなか元通りには戻らない。しかし肝臓は再生スピードがかなり速いので多少欠損してもある程度復活できてしまう。それくらいすさまじい、強キャラ臓器なのである。

しかし、それでも、肝臓はある種の刺激によって継続的にダメージを受けることがある。これだけ強い肝臓にダメージを与える下手人って誰なんだよ、とたずねると、納得の答えが返ってくる。

1.一部のウイルス

2.アルコール

3.脂肪

4.体内の免疫システム

5.クスリとかハーブとか漢方とかそういうやつ

なんだよバラバラじゃん、と思われるかもしれないが共通点がある。それは、「肝臓を一瞬攻撃して終わる物じゃない」ということだ。たとえば肝炎ウイルスと呼ばれるウイルスは、肝臓を一瞬攻撃してそれでおしまい、という急性肝炎パターンをとることもあるが、その何割かが「慢性感染」に移行する。持続的に肝臓にとりついて、長年にわたって肝臓を攻撃し続ける。再生能力の強い肝臓も、毎日のようにいじめられ続けているとたまったものではなく、次第にその機能が低下していく。

アルコールもそうだ。毎日飲むから毎日解毒。アルコールを分解した産物もまた解毒。これを毎日毎日やっているとやはり肝臓はへばってしまう。

肝臓は工場の役割をすると言ったけれど、脂肪が不良在庫のように肝臓の中に溜まり続けると、これがまた謎の低酸素ストレスみたいなものを肝臓にちくちくと与え続けることがある。あくまでも「ことがある」だけれど。

さらには免疫……アトピーとかぜんそくとか、リウマチとか、さまざまな「自己免疫疾患」があるけれど、肝臓にも自己免疫性肝炎という特殊な病気があり、ほんらいであれば体を守ってくれるはずの自分の免疫システムがなぜか肝臓という大事な臓器を攻撃し続けることがある。

そして薬剤。これすごくだいじ。なんでも飲みすぎはよくない。また相性みたいなものもある。そして勘所があって、西洋医学のお薬だけが肝臓にダメージを与えるわけではないのだな。生薬とかハーブとか香草みたいなものを「継続的に」飲み続けると結果的にそれが「継続的に」肝臓にパンチを食らわせ続けているということもある。




で、肝炎。これがまた多彩な症状を引き起こすのだけれど、その原因が上に書いたように多彩で……あ、ピンと来た読者もいるかな……つまりは原因に応じて治療を変えないといけないのだ。

臨床医は血液検査を注意深くみて、ウイルスの感染とか患者の日常生活などを丹念に聞き取りながら、肝臓に炎症が起こっている原因をさぐり、文字通り「さじ加減」を尽くして肝臓の治療をする。

最近の肝臓内科医はみんな優秀だ。たいていの場合、原因はそこそこはっきりするし、治療も方向性が定まる。

しかし、肝臓という最大の臓器に、長年にわたってダメージを与え続けた敵の正体はなかなかにして悪辣なことも多く、たとえば、脂肪肝から続発する肝炎だと思っていたけれどどうも自己免疫性肝炎もオーバーラップしているのではないか、みたいに、臨床医が、「難しさにピンとくる」ケースがそこそこある。




そういうときに病理医がぬっと登場する。

臨床医は肝臓を針で刺す。一説によると、針で刺して得られる肝臓の細胞は、肝臓全体の60000分の1くらいしかないという。味噌汁の味見をするにしてももうすこし量をなめるだろう。しかしこれだけあると、肝臓の細胞に、

・どのようなダメージが起こっており

・どのように肝臓が荒廃し

・どのような原因が顔を出しているか

を見ることができる。



これはえらく難しい病理診断で、世には達人と呼ばれる人がいるのだがその達人たちの診断手法、さらには昔の人たちが必死で集めた知見を集積した教科書などを駆使して、なんとかかんとか診断をしていくのだけれど、その際に、細胞だけではなく、臨床医がこれまでに集めてきたあらゆる「臨床医からみた情報」も使いこなさないと到底診断にはたどり着かない。

その診断も、「肝炎です。マル。」みたいな診断名だけ付けて終わりというものではない。

「自己免疫性肝炎の性質が垣間見えるから、ステロイドを用いた治療をもうすこし本腰いれてやったら今以上に効果が出るんじゃないか」

みたいな、「さじ加減に口を出す」みたいなことをする。




肝生検や腎生検、筋肉の生検、皮膚生検などは、しばしばこういう、「臨床医のさじ加減」に影響するタイプの病理診断が求められる。けっこうコミュニケーションしないといけない。患者とコミュニケーションするのとは全く違うスキルである。コミュニケーションというか、「使えるものは臨床医でも使う精神」というか……。