患者から採取してきた細胞を顕微鏡でみて「がん」だとわかったとする。
さてその「がん」をどうする?
手術でとる?
抗がん剤で叩く?
放射線をあてる?
こういった選択肢を考えるとき、「それががんである」という情報だけでは、足りない。
たとえばそのがんがどれくらいの大きさであるのか?
さらにはがんが臓器のどこまでしみ込んでいるのか?
これらをきちんと見極める。そのほうがより効果的な治療を選べる。
がんがどれくらい大きいかとか、どれくらい広がっているかといった話は、「がんの一部分をつまんでとってきただけの病理検体」ではわからない。CTやMRIのような「画像」を使って細かく検討することになる。
では、細胞をみてかんがえる病理診断は、「がんかどうか」しか判定していないのかというと……
実はそうでもない。というか、病理診断だからこそ調べられる、「治療に直結するようながんのより詳しい情報」がいくつかある。
有名なのは「がんの顔つき」。「がんがどれくらい悪いか」。
がんなんて全部悪人だろうというのは不正確である。小悪党から天下の大悪人まで、悪さにも段階があるのだ。細胞をみる場合には「異型度」や「分化度」とよばれる指標でこれをはかる。
「分化度がわるければがんの悪さが強い」。これはだいたいどこのがんでも通用する理屈である。ただ、それ以外にも、
「分化度がよいがんの場合が転移するときは肝臓に転移することが多く、分化度が悪いがんだと将来腹膜に転移しやすい」(※例:一部の胃癌の場合)
みたいに、将来の挙動に差が出てくる場合もある。ちなみにここからはかなりマニアックな話になってくる。
「深達度が粘膜下層までの大腸がんの場合、高分化型よりも低分化型のほうが将来リンパ節に転移するリスクはやや高い」
「深達度が漿膜下層におよぶ大腸がんの場合、高分化型だと肝臓へ、低分化型だとリンパ節へ転移する頻度が高くなる」
ほら、どんどん言葉が組み合わさっていく。テレビのクイズ番組のように、ひとつの質問にひとつの回答で答えるといったセットがうまくはまらなくなっていく。
時代が進む毎に、この、「がんを細かく分類する作業」はフクザツになっている。
もうほとんど悪ノリかというくらいに細かくわける。
今や、とってきた細胞の遺伝子を調べることも必要だ。
「EGFR, ROS-1のどちらかに変異があるか、もしくはALKのキメラ遺伝子が存在するかを調べる。BRAFもしらべておきたい。PD-L1の発現度合いはこれらとは別に調べておく必要がある」。
もはや何語でしゃべっているのか、というかんじだ。
なぜ「がんです。」で終わりではいけないのか?
それは、「がんです。」と一言でくくるには、がんが多様すぎるからである。付け加えると、「進行して再発したEGFR変異陽性の肺がんにのみ効果が期待できるお薬」みたいなものが開発されているのだ。
野球にたとえるなら、「内角高めにカーブが入ってきたときだけホームランを打てるバッター」みたいなものとでも言おうか?
ラグビーに例えるなら、「ポールの正面から40度ほど右に22メートル離れた位置から蹴ったときだけゴールを量産できるキッカー」とでも言えばいいか?
サッカーに例えるなら、「メッシがセンターフォワードにいるときだけ活躍する左サイドバックの選手」とでも言おうか?
とにかく、「そ、そ、そんな狭いシチュエーションでしか活躍できねぇのかよ!」という薬が、医療の世界には山ほどある。だからぼくらの仕事は時代を経るごとに増えていく。
最近ぼくは「事務員Y」を名乗ることがある。一日中、外注検査のための依頼用紙を書いたり印刷したりしているからだ。いいボールペンがほしい。