それなりに昔。食道がんという病気を見た医師は、「手術」を頭のどこかにおいて診療していた。
この患者に手術をすれば命を延ばせるだろうか……?
そういうことをたいていの食道がん患者の前で考えていた。
このとき、病理医は、主治医の判断を後押しする。その食道の病気がほんとうに「食道がん」なのかどうかを、細胞を直接みるという裏技で確定する。
「食道がんかあ……じゃあ手術だな」と考えて手術したら、実はがんではありませんでした、ということでは困るからだ。「たぶん食道がんだろう」を「まず間違いなく食道がんである」と決めるのに病理医は活躍したし、その先には「手術」という選択肢が控えていた。
そして時代が進むと治療が進歩する。
「手術」のほかに……食道がんがまだあまり深くしみこんでいなければ、胃カメラ(食道カメラ)を使って、スコープの先端から出るマジックハンドを使ってがんの部分だけ切り取ってしまうという手法。
あるいは、食道がんの場合は放射線照射とか抗がん剤がかなり効くということがわかり、手術をせずに(あるいは小さく切り取ってから)放射線と抗がん剤を使って「複合的に倒す」という方法。
さらには、「がん細胞に特殊な薬を投与して、その薬によってレーザー光への感度を上昇させておいて、レーザーをあててがんだけをぶっ倒す」という方法。
こうやって「治療」が進歩すると、「食道がんかあ……手術しようかな」と考えていた主治医の、やることが増える。
「食道がんかあ… → 手術しようかな
→ カメラで切ろうかな
→ カメラで切ってから放射線と抗がん剤かな
→ カメラで切って考えてから追加で手術かな
→ カメラで切ってあとしばらく様子をみてから考え直すかな
→ …… 」
判断が増える。すると、病理医のやることも、増える。
細胞をみるという裏技で、「それががんであるか」だけではなく、「どういう性質のがんか」「どういう治療法をすれば制御できるか」みたいな観点で、病気をどこまでも追いかけていくことになる。
昔の教科書より、今の教科書の方が、必ず分厚い。
科学はいつだって後の世の方が複雑になる。病理診断もそれはいっしょ、なぜなら、診断の向こうには治療があり、臨床医の判断があり、その判断は時代ごとに必ず複雑になっていくからだ。ブロッコリーがどんどん細かく分岐していくように、サイエンスは細かく分岐し、病理医はそれを幹のほうからみて、さあどこまで追いかけるかなと考える。