油断をすると追いつかれる。何に追いつかれるかというと、「焦って目の前の仕事をひたすらこなさなければいけない自分」に追いつかれる。
たとえばこのブログをぼくは基本的に5日分書きためている。たとえば今日のこれは、公開の1週間前の同じ曜日に書いている。平日毎日更新して、土日は更新がないので、5日分ストックすると、「もし自分が1週間くらいブログが書けない事態に陥っても」更新をストップさせなくてすむ。
しかしこれの本末が転倒する。まあ、最初からこうなるだろうということはわかってはいたのだが。
「3日ほど忙しくなって、ブログが書けなくなって、ふと息をついたときにストックが2日分になっていると、あわてて記事を3つ書いてストックを5日分に戻さなければ気が済まない」。
こうして、「念の為」で余裕を持たせていた部分だったはずが、それがノルマに変化してしまっていて、ぼくは「5日分もストックがあれば安心だ」の人間から、「2日分しかストックがない、もうだめだ」の人間へとすみやかに移行している。
油断をすると追いつかれる。何に追いつかれるかというと、「焦って目の前の仕事をひたすらこなさなければいけない自分」に追いつかれる。
仕事そのもののデッドラインに追いつかれるわけではないのだ。「ここまでやっておかないと不安だ」という気持ちに追いつかれる。だからぼくはいつも仕事の締め切りを必ず守る、どれだけ忙しくても依頼より遅れて何かを出すということはまずあり得ない。しかしそこに余裕は一切無いのだ。たとえば締め切りが10月30日の原稿があったとしたら、自分で勝手に締め切りの線を9月30日に引き直して、そこまでに終わらないと世界が終わる、という気分になっている。本当は1か月も余裕があるのに。
いつも焦って目の前の仕事をひたすらこなしている。「それ、そんなに急いでやるべきことなの?」と言われても。
なんだかそういうのがいやになってきたので最近は仕事自体をあまり受けなくなった。といってもここでいう「仕事」というのは、本来は空き時間にやっていたはずの、片手間の書き仕事、業務や学術とは関係がない一般向けの文章を揃えるものであり、いつの間にかこれがぼくのなかで完全に「仕事」になっているのでほとほとうんざりする。これは本当は仕事ではなかったはずなのだ。締め切りはほんとうは1か月以上先だったはずなのだ。なのに、今日もぼくは、「明日がしめきりの! 仕事が! おわらない!」と言って頭を抱えている。