よく寝てよく起きて出勤した。土曜日なのでのんびりである。昨日の夜から今朝までに届いたメールは大した数ではなかった。一通り返信を終えたら、次はリアルの郵便を仕分ける。マイナンバーカードをコピーして貼れ、みたいな人生の無駄ランキングトップ10入りする仕事を数分やる。まったくもうなんのためのマイナンバーカード制度なんだよ、みたいなことを脳内でぶつぶつ呟きながら。
もっとも、「無駄なことに愚痴を言っている状態」は、そこまで悪いことではないのかもしれない。いやなことも面倒なことも理不尽なことも、あまりいっぱいあるとしんどいけれども、ちょっとある分には、人生の構造の一部にテンションをかけて引き締めてくれるというか、微弱なストレスを与えることでかえって免疫の力を高めるというか、「細々といやがっている自分を俯瞰すると意外と活き活きして見えることに気づく」というか、とにかくダメなことばかりではない気もするのだ。こんなことをリアルタイムで愚痴っている人の前で言うとめちゃくちゃ怒られるから普段あまり言わないようにしているけれども、正直、不満も愚痴も出てこない人生というのは、苦みを消去した食事のようなもので、奥行きがなくバリエーションもなくつまらないのではないか。なけりゃないほどいい、という類いのものでもない。おそらく。あっていい。マイナンバーカード制度に愚痴る暮らしというものが。
話は変わるが最近、自分のしゃべりかたのクセが気になっている。より正確に言うと、「論述の展開にクセがあるために、話した内容をそのまま文字おこしすると読めたもんじゃなくなる現象」が気になっている。昔からずっと指摘されてきたこととして、ぼくはしゃべりがヘタだ。大学院を卒業する直前、学位審査が終わったあとでディスカッションを眺めていた偉い人から「見事なまでに煙に巻くしゃべりだったねえ」と言われたのが記憶に残っている。それ以来、「流暢で過剰」だとか、「聞いていて、その場ではわかるのだがあとでまとめようと思ってもまとめられない」とか、いろいろな表現で指摘を受けてきたが、全部一緒だと思う。20年来気を付けているが未だになおらない。特性というよりも生まれ持った基質に近い。
しゃべるときに、頭の中で思い浮かんだイメージのコアの部分を伝えようとする努力はしている。しかし、しゃべっている最中に、思い付いた端から、コアを修飾する言葉をどんどん付け足している。それを声で届ける分には、抑揚とか強弱とかの音声的な調整がかかっているためか、相手にもそれなりにわかってもらえるのだけれど、いざ文字おこしして文章にすると、修飾過剰でわけがわからなくなる。自分の発言を文字おこしにしてもらったものを昔は原稿チェックの段階でずいぶんと刈り込んでいた。しかし、今はもう、猥雑さすら感じられる修飾過剰な文章をそのままにしている。煩雑で渋滞したしゃべりであっても、明らかに不適切な内容だとかどう考えても聞き違いだろうという部分以外は、直さずに公開してもらう。ノーチェックで原稿掲載していただくことも増えてきた。
しゃべった内容を後日読み返すと、「ああ、これをしゃべっている最中に頭の中に別の話題が2つくらい追加で思い付いて、それらを全部まとめてしゃべろうと思ったんだよな」と、自分の思考の迂曲プロセスを追体験することになる。聞いていたほうは大変だろうし、記事にまとめたほうはもっと大変だったろうと思う。でも、それ以上に、「ぼくと同じ基質をもった人ならこの文章でもいろいろ受け取ってもらえるだろう」ということを、今は思う。
「しゃべりがヘタ」とか、「内容が込み入っていて難しい」という指摘をうけて、もっとわかりやすいように、伝わるように、要点がよく見えるように、自分のしゃべり方をなんとか整形しようと、ここ10年くらいがんばってきた。ツイッターのような短文の文化、誤読・誤解釈の横行する場所にひたっている以上、いかにコアの部分をすみやかに見せるかについて考えない日はない。しかし、それでも今はなんというか、無駄なところも含めての思考というか、混雑・回り道・分岐・渋滞などの道のりをすべて開示することにぼくの発信の本質があるように思う。それは「本尊」を取り囲む「境内」がまるごと意味を持つ感覚、あるいは「敷地」がある「樹海」すべてが鎮魂や葬祭の場になる感覚と似ている。自分の語りが迂遠であることは実際には誇るようなことではないのだけれど、その未整理の中に蓄積した私的な嗜好/指向/思考をまるごと見てもらった上で、それでもなお仕事をしてほしいと頼んでくれる人がいるならば、ぼくは今後はもう、ぐちゃぐちゃなままでもいいのかもなあ、みたいなことをときおり考える。だいいち、世間の大多数がわかりにくいと言ったときのぼくのしゃべりも、何度聞いてもぼくだけにとっては「しっくりくる」ものなのだから、これはもう、そういう無駄ごと抱える脳なのだと腹をくくるしかないと思うのだ。