2023年2月28日火曜日

じつと指を見る

「文章を入力するときに、ガチャガチャターンと大きな音を立てるのは下品だよなと思っているので、なるべくキーボードを優しく叩くようにしています」

ぼくがそう言うと、

「優しく叩く、ってそこそこ矛盾してるよね」

と返された。そうか。そうかもしれない。思えば、英語だとキータッチ、すなわち「触る」である。ブラインドタッチという言葉もある。日本語だとずいぶん強めの言葉を用いるんだなあ。


こうして文章を打ちながら、あらためて自分の手元を見てみる。まじまじ眺めながら文字を打っていくと不思議な気分になる。ブラインドで入力することこそが至高と思ってずっとやってきたけど、むしろモニタを見ずに手元だけ見ながら入力していくほうが身体のふしぎさをダイレクトに感じることができておもしろいかもしれない。あえて強く「叩いて」みたり、なるべく音を出さないようにロロロロッとなで回してみたりする。左手はわりとどっしりしていて、右手はかなり左右に忙しく動く。その都度、手の甲の筋や指の節の部分などがぴくりぴくりと反応し、あるいは入力に使っていない指が次の入力に備えてぷるっと震えたり緊張したり、これまであまり気づいていなかった指や手の予備動作、もしくは重心の移動みたいなものまでもだんだん見えてくるようになる。

じっくり見ていると、どうやらキーボード入力のときにやっていることは「叩く」でも「触る」でもないようだ。打鍵という言葉があるが、「打つ」とも違う。押下(おうか)するというほど指を押し込んで下げているわけでもない。内科医が次々と聴診器を違う所に当てていくような、水平移動のイメージのほうがむしろ近い気がする。這うような、うろうろするような、ゴミ拾い、芝刈り、雪かき、麻薬探知犬。樹皮の表面をペタペタとあちこち触りながら維管束を流れる水分量を感じ取る樹木のお医者さん。ああ、点字ブロック!

自分の手を見ながら他人事のように考える。よく動くなあこの指。もう25年以上もキーボードで入力しているから、歩いたり食べたりするのと同じくらい無意識に体が動く。それをあらためて「見ようと思って見る」。


書き留める、という言葉があって、たしかにボールペンや万年筆で何かを書いているときには「書いて留める」というニュアンスがしっくりくるのだけれど、キーボード入力では書いて留めている感覚から少し離れてくる。「探り探り」という言葉がポンと浮かぶ。そうだな、PCで文章を打つ作業は探り探りだ。指を這わせて脳のシワをなぞっていく。カーテンのひだの中、ドーナツの穴の奥、Oddi括約筋の締め付ける先。なでて探って積もらせていく。叩かず、打たず。