ポイント溜めるより先にやることがある。月の会費をまじめに払い続けているにもかかわらず、12月はたった一度しかジムに行かなかった。1月に至ってはゼロ回である。これほど説得力のある無駄遣いもあるまい。人前では、雪かきで汗だくになっているから運動しなくていい、とうそぶいているがもちろん言い訳だ。体重も血圧も雪かきだけではまるで落ちない。週に一度でもいいから運動を習慣にすべきである。走ること、筋トレすることから逃げてはいけない。これからのぼくはどんどん腰も頸も足腰も肩も弱っていく、それはもう明日の天気よりもはっきりした確定的な未来である。今後少しでも長く座り仕事を続けていくためには今から地道なメンテナンスをするに越したことはない。理論も統計も完璧に理解している。しかし休日は本を読みながら寝てしまうし、平日に時間があると大須賀とTwitter spacesなどをやってしまう。中動態どころか能動態でさぼっている。責任の所在ははっきりしている。
ぼくは昔からこうだ。アマゾンプライムビデオも月に1本も見ていないからプライム会員の会費は無駄になっている。最近とりわけ忙しくてたまたま今の時期だけズボラ……というわけでもない。振り返ってみれば20年前にも、更新していないホームページのサーバ料金を年単位で払い続けていたり、車を停めていない駐車場の月極料金を払っていたりした。たぶんそういう性格、というか欠失がある。
出勤前に雪かきを終えたあとすぐに出かけたかったのだがさすがに疲れたので、天気予報でも見つつ少し座ろうと思ってテレビを付けたら、「管理職になりたくない若者」のインタビュー映像が残っていた。仕事が増えて定時に帰れないのはイヤだから管理職になりたくないです、と街頭の若者が言う。家族や自分のために使う時間を割いてまで責任と給料を増やしたいとは思わないです、とデート中の若者が言う。一方、30代くらいの人は家庭を支えるために給料を増やしたいから管理職になれと言われたらなると思う、みたいなことをしぶしぶ言う。みんな自分のこと、そして自分の拡張現実であるところの家族のことを言う。ぼくが今管理職をやっているモチベーションの多くは、どちらかというと自分のためというよりも、「ぼくがこの事務仕事を代わりに片付けておくから若い人たちは存分に自分のやりたい勉強をするといい」という使命感にあるのだが、インタビューされたとしてそのように答えても編集的に選んでもらえないだろうなという気がした。
ふりかえってみれば、20代のぼくも30代のぼくも、自分とその延長のことしか考えていなかったけれど、それを許してくれた上司や職場や社会に恩があるなとだんだんわかってきて、こんどは順番的に自分が返さなければいけないと思っている。管理職というのはなりたくてなるものではない。なりたくない人の代わりになるものなのだ。それがいいところなのだ。そして、このようないわゆる「美談」を持ち出してまで、「自分のために時間を使うことがへたくそである」という論を、丁寧に、詰め将棋を解くかのように進めて、結局はジムをさぼっていることの口実にする。事務仕事が忙しいからジム仕事に行けない。オチまで完備。そういうことである。そういうところである。