2023年6月15日木曜日

病理の話(787) がんの診断と実際にみんなが気にすること

大腸にポリープが見つかったとする。

この場合、あなたはそのポリープについて、何が気になる?

「がんか、がんじゃないかが気になる」。

たいていのシチュエーションで、そういう言葉を耳にする。


でも、みんな本当に「がんか否か」に興味があるのだろうか?

病気の定義がどうとか、分類がどうとかではなく、もっと、「自分に近い話」が知りたい人はいないのだろうか?

たとえば、

「それを放っておくと命に危険があるのか?」

「それを治療すればまた健康に過ごせるのか?」

といった、より自分の生活に直接関わる部分こそ、知りたいという人はいないか?



「誰か専門家が名付けたもの」と、自分の病気が同じか違うかに、そこまで興味があるのかなあと疑問に思うことはある。……でも、まあ、うーん、あるかもしれないな、「がん」というのはインパクトのある言葉だから。

ただ、ぼくだったら、「がんですか? がんじゃないんですか?」で自分の興味が終わるとは思えない。

「がんです」「えっ! そんな!」「……」「……で、がんだったら、それはどういうことになるんでしょうか?」

と話が繋がっていくのではないかと思う。

「放っておくとどうなるの?」「治療すれば治るの?」

結局はこっちに興味を持つ。「がん or not」で話が終わるわけではないのだ。



「放っておくとどうなるの?」「治療すれば治るの?」は、「これはがんなの?」に比べると、より具体的な質問だ。そして、じつはエグい。

なぜエグいかというと、これらはいずれも未来予測だからだ。

未来のことは、本当は誰にもわからない。さまざまなアクシデントがあり得る。何がどう転んで結果がズレるか、だれにも予測できない。それが未来というものだ。

でも、ぼくらはそれを十分わかっているはずなのに、「見つかったポリープが自分の体に悪さをするかしないかくらい、予測できないのか?」と思いがちである。

ぼくらはわがままだ。



この先株価が上がるか下がるかわかる? と専門家にたずねてみよう。「そういうのはいろんな条件が混じり合うから難しいんですよ。だいいち、株価が上がるか下がるかがわかるなら、みんな簡単に金儲けしちゃうじゃないですか」みたいなことを言われて、まあそうだよなアハハって納得する。

その同じ人が、ポリープを見つけて、「これは将来自分の命に影響しますか? それとも、放っておいても命にかかわることはないでしょうか?」とたずねる。こちらは「わかりません」と言われても納得できない。

となると、医療者のかかえる責任というのは独特だなあと思う。

そんなの時間経ってみないとわからないよ、アハハ、で終わらせられない。

そして医療者はあの手この手で未来予測を試みる。



使うものは統計だ。たくさんの症例を集める。その症例すべてを詳細に検討する。ポリープがどんな形をしていたか。どれくらいのサイズであったか。ポリープを割ってみて、どれくらい人間の体の中にめりこんでいたか。細胞がどんな形をしていたか。データが多ければ多いほどいい……わけでもないのだが……予測の役に立つようなデータをなるべく細かく集める。そして、無数の過去のデータと照らし合わせる。統計学的処理をする。

その結果、

「このようなポリープなら、大腸カメラでチョンととってしまえば、それで絶対に根治です。100%、再発した人はいませんし、これからもいないと思います!」

まで言えれば、それは「がんではない」。

(※ここ、じつは日本の病理診断基準だと少し不正確なんだけど、今日は専門家にとっての記事ではないので、これくらいの書き方にしておきます)



逆に、「このようなタイプのポリープは、過去に、50%以上の確率で、体の内部に転移してました」となれば、それは「がんである」と判断される。ポリープの部分だけ切除しても治療は不十分だ。だってどこかに転移しているかもしれないんだから。もっと大きな範囲を切り取るなり、ほかの治療法を考えるなりしなければならない。


では、「過去にこのようなポリープは、0.1%だけ体の中にしみ込んでました。99.9%は大丈夫でした」という病気はどうする? それも「がん」と判定するか?

0.1%しか再発しないとなると、たいていの病院の医者は、「こんなポリープが再発した経験なんてない」ってなる。個人の医者が生涯に経験できる患者の人数では、とうてい足りないくらいの、ものすごく低確率で「再発」するような病気は、医者からみても「良性に見える」。

でも、たくさんの症例をしらべて統計をとった結果、「0.1%だけだけど再発した人がいる」なら、そのリスクを考えて治療をすすめたほうがいい。病名としては「がん」という名前が与えられる。


このように、「がんか、がんじゃないか」というのは、毎日患者を見ている医者からしても、個人の経験や美意識だけで判断するのが難しい部分がある。

「誰がどうみてもがん」という場合と、「統計学的にがんだけど、なかなか見極めが難しいやつ」とがある。


したがって、我々は、自分がもし病気になったときにも、「がんか、がんじゃないか」に一喜一憂することはない。

たとえ「がん」だとしても、その先の予測をもっと詳しく聞いてみたほうがいいのだ。

ぼくらが本当に知りたいのは、「がん」というインパクトの強い病名が自分につくかどうかではなく、その病気が将来自分に何をおよぼすのか、それによって自分の人生がどう変わるか、のほうではないかと思う。

……まあ、「がん」って言葉はすごくドッキリする言葉なので、ついそこに引っ張られてしまう気持ちも、わかるんだけど。