2023年6月19日月曜日

病理の話(788) 要するにの使い所

病理医をやっていると、「要するに」を言いたい、言わなければいけないタイミングと、「要するに」で片付けてしまってはいけないタイミングの両方を経験する。



「要するに」を言うのはどんなときかというと、それは、病理医の言葉ひとつに、主治医の選択がかかっているときだ。

たとえば胃がんの診療においては、がんが「高分化」と呼ばれるタイプと、「低分化」と呼ばれるタイプで、治療が変わるケースがある。

さまざまなファクターを考慮する必要があるにせよ、最終的に病理医が、

「これは高分化だ!」

と決めることで、その後、患者にほどこされる治療が決まってくるのだ。小さい内視鏡手術でよいのか、それとも大がかりな外科手術になるか、といったふうに。けっこう大きな差である。

こういう場合、病理医は、あれこれと自分の診断の根拠を述べていくのだけれど、最終的に主治医が知りたいのは「要するに高分化なの? 低分化なの?」といった部分なので、病理医も腹をくくって、「要するに高分化です」のように、簡潔に答える。

回答席でうだうだ悩んでいるところを見せずに、二択なら二択をビシッと選んでファイナルアンサーとする。




ちなみに、病理医の仕事は最終的には「病理診断報告書(レポート)を書くこと」に集約されていくので、細胞をみながら頭の中でいろいろ考えたことも、最後には「要するにこういうことです」とやや短めに言語化するケースが多い。

ゴニョゴニョ言ってないで白黒はっきり決めなさい! 的な仕事だということだ。


要するにこれは腺癌!

要するに深達度はpT1a!

要するに断端は陰性!


ここで、「腺癌か扁平上皮癌かわかりません」では、その後の診療が決まっていかないのだから、病理医は自分の責任で「要する」べきだし、その最終的な結果をもって主治医はビシッとその後の診療を決めていくのである。




さて、なんとなくぼくの書く物をご覧いただいている皆さんにとって、このあとの展開は少し予想できちゃうのではないかと思うのだが……。




病理医は、「要するに」ばかり言っていてはだめだ。「要約する前の、雑多なだらだらとした表現」が豊潤でないと、本当の意味での「細胞の専門家」にはなれない。


主治医をとっつかまえて、病理の部屋に案内し、いっしょに細胞を見ながら、

「いやー、要するにがん、なんですけどね、がんにしてもいつもとはちょっと違うというか……高分化から低分化まで入り混じっているというか……」

みたいなニュアンスをなるべく主治医と共有する。そうすると、たまに主治医が、「あーやっぱりそうですか……私も内視鏡を見ながら、高分化だと思うけど、いまいち自信が無いなあと思っていたんですよ。やっぱり細胞もそうなんだなあ……」みたいに、かなりしっかりうなずいて納得してくれる。



仮に、病理診断がすべて「要するに系」だけで済ませてよいのなら、病理診断という仕事の大半はいずれAIによって置換されていくだろう。二択、三択を確率によってビシッと選ぶ。数字を提示する。思考の根拠なんて関係ない、ビッグデータと機械学習が有無を言わさず統計学的な答えを返すのだ。それで十分成り立つだろう。


しかし、病理医はときに、「要するにと言わずにぜんぶのニュアンスを教えて欲しい」と頼まれる仕事でもある。診断を書く過程で切り捨てていく枝葉の部分にこそ、患者の身に起こったことの中に潜んだ些細な疑問に答えるためのヒントや、研究のタネが転がっていたりするものなのだ。あんまり「要するに」ばかり言っていると、AIっぽい病理医って思われちゃうぞ。