2023年8月15日火曜日

野球場欲


写真の日付には96.3.24とある。手元で調べると日曜日。時期的に春休みである。

真ん中に写っている私は高校2年生を終えたばかり。右にいる弟は中学を卒業した直後。

写真を撮ったのは父だ。

うしろには西武・巨人戦の途中経過。つまりは野球のオープン戦。

場所に関する情報が得づらい写真だが、巨人戦の経過が書かれているのだから東京ドームだ。

私たちはこのとき、3連続で野球を見た。

東京ドーム、千葉マリンスタジアム、阪神甲子園球場。

千葉マリンと東京ドームは同じ日に見ているかもしれない。

とにかく野球観戦旅行をした。

一度きりの、しかし決定的な旅行をした。




それまで市原家の旅行といえば、父と母、祖母、私、弟の五人そろってのバスツアーが定番であった。会津若松やら南紀伊勢志摩やら、やや裏日本気味なところを訪れ、ガイドさんのうしろについて観光地をめぐる。夜は宴会場で固形燃料であたためた陶板焼やら鍋やらを食べる。あれは家族旅行という意味合い以上に祖母のための旅行であったのだと思う。具体的にどこに行ったかはもうほとんど覚えていないが、脳内の残響は美しい。

乙部(おとべ)町に遊びに行くのも夏の風物詩だった。「鮪(しび)の岬」の背中を駆け上がっていった先に明和小学校が建っていて、その向かいが母方の祖父母の住む家だった。土曜日スタート日曜日終わりの9日間滞在する。父親がさいしょの土曜日に札幌から乙部まで5時間半かけて母と私と弟を車で送り、父は1泊だけして日曜日にひとり札幌に帰って、一週間普通に勤務し、次の土日にまた乙部までやってきて私たちを札幌に帰す。コトの重大さを一切理解しなかった私たち兄弟は、毎日海や山で好きなように遊んでいたけれど、今にして思うと30~40代男性の体力が長距離ドライブでひたすら奪われる夏の苦行であったろう。まったく偉い父親である。

このようにして、だいたいは母といっしょに、たまに父や祖母もあわせて旅行に行っていたわけであるが、父と弟との三人で旅行したのは、冒頭の「野球旅行」だけだ。この一回の印象が、27年経った今も私の中に鋭く残っている。




この年、確か、父がそれまでやってきた仕事の総決算的な発表が東京あたりで執り行われた。私たち兄弟は一度も父親が働いているところを見たことがなく、仕事の内容も一切理解していなかったのだが、せっかくなので一度父親の仕事を見に行こうという話になった。

そこで、なぜか父は、「だったら野球観戦もしよう」という話をしてくれたのだと思う。あまり覚えていないがたぶんそういういきさつだ。自分の仕事を見るためだけに東京まで行くのは航空券的にももったいないから、旅行をセットにしてくれた、ということなのかもしれない。ただし首都圏の球場だけでなく甲子園まで訪れている。けっこうな出費だったはずだが、それが結果的に私の中にずっと刻印される春休みの思い出になったし、父もおそらくは楽しんでいた。

当時、札幌でプロ野球観戦といえば、北海道神宮のとなりにある円山球場という小さな市民球場で、年に数回、巨人戦や西武戦をやるのを狙い澄まして見に行くしかなかった。毎日テレビでナイター中継を見るばかりだった私たちはたしかに球場の雰囲気に興奮した。東京ドームは「ドームだ!」という喜び以上のものをあまり覚えていないのだけれど、強風ふきすさぶ千葉マリンのバックネット裏で、初芝のファンがずっと「初芝サーン!」と黄色い声援を飛ばしていたのを今も思い出せるし、その女性が代打で出てきた堀に「ギャー堀サーン!!!!」と信じられないくらい大きな声を出したときに、ああ初芝はそこまででもないのか、と笑ってしまったのもよく覚えている。

そして極めつけは甲子園だ。駅からどうやって球場までたどり着いたのか全く記憶にないが、スタンドに向かう通路に漂う便所の臭い、3月なのにまるで真夏のように照りつける日差し、外野スタンドの応援団の人いきれと、最前列で応援旗をふりあげる胸鎖乳突筋が異様に発達した高齢男性の「ケーッ!」という金属を切るような掛け声、石井一久の前にまるでヒットを打てない阪神打線となぜかそれでも打点を挙げてしまう八木(後の代打の神様である)。

試合が終わった後どうやって宿に向かいどうやって帰ったのかは完全に忘れた。狭い居酒屋のような店で何かを食べた記憶がないわけではないのだが、これは後年おとずれた出張先の記憶とかぶってしまってノイズが強くてうまく再生できない。



今にして思えば父はかなり野球が好きだった。私たちもテレビで野球を楽しんでいたけれど、実際に野球をやったり見に行ったりしたいとは言わなかった一方で、父親は本当に野球が見に行きたかったのだろうし、あるいはやりたかったのかもしれないと思う。

私たち兄弟が習い事をはじめる前はよく父親とキャッチボールをしていた。その後、私は剣道、弟は卓球をはじめ、父親とまともに野球をすることはなくなった。野球帽は応援するチームではなくデザインで選んでおり、紺地に白くWと書かれた大洋ホエールズのキャップを小学校の頃のぼくはよくかぶっていた。中学、高校になると、ゲームで野球選手の名前を覚えたが、実際にプレーしたり観戦したりする欲は特に育たなかった。

その程度の野球愛だった私は、しかし、押しつけるでもなく父が用意した「野球旅行」によって、心の奥底でしなびる程度に生えていた野球への愛情に変化を与えた。

高校3年になった私は、同級生が全国高校野球の全道大会に出場して負けていくところを、「全校応援」で見たのだけれど、前の年に比べてあきらかに球場への興味が増していた。野球はこれまで通りにおもしろかったのだが、それをはるかに上回る勢いで、「野球場」が好きになっていた。しかし札幌在住の私にとって、「野球場欲」を満たしてくれる機会はそうそう簡単には訪れなかった。



日本ハムファイターズが北海道にやってきたのが2004年だ。私は喜び、ついに札幌でも頻繁にプロ野球が観戦できるなと小躍りしたのだが、いざふたをあけてみると、私が札幌ドームに試合を見に行くことは数えるほどしかなく、高校時代の欲求は果たされないままであった。

札幌ドームが悪いというわけではない。有機的でとてもかっこいい球場だ。しかし私にとっての札幌ドームとは、野球場ではなくサッカー競技場のイメージが強い。

札幌ドームは日韓ワールドカップのために建設された球場であるが、ワールドカップの前年(2001年)にはすでにコンサドーレ札幌のホームゲームが札幌ドームで開催されていた。ちなみに日本ハムファイターズが北海道にやってきたのは2004年である。

2002年、大学5年生、私は札幌ドームで開催されたコンサドーレ札幌の試合を見に行き、ディフェンダーであり確かキャプテンでもあった曽田雄志のハットトリックを目撃した。曽田はひそかに高校の同期でもあり(話したことはなかったが)、コンサドーレ自体にも愛着があった。そんなこんなで私にとって札幌ドームはもっぱらサッカーの場として記憶された。



こうして、父親の努力(?)むなしく私の野球場への愛着はいったん沈静化したかに見えた。しかしその後、思わぬ方向からふたたび私の心の中の「苗木」に水をやるようなできごとが起こる。

2014年、月刊アフタヌーンで『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』の連載がスタートし、私はアフタヌーンを購読するようになった。そして2016年ころ、『球場三食』というマンガが連載される。


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「野球を見に行くときには、球場で三食メシを食う」というポリシーを持った30代男性(予備校教師)が、毎回ひたすら野球場を訪れてそのすばらしさを語るという「だけ」のマンガなのだが、これが本当にたまらないのだ。私は毎月フラジャイルを読みつつ必ず球場三食を読んで感想をツイートしていた。私が内にため込んでいた「野球場欲」をそのまま燃焼させているマンガがここにはあったのだ。臆せずに言うが私はおそらく日本で一番このマンガの更新を楽しみにしていた読者の一人であるし、後日、某関係者から、

「アフタヌーンの編集長が、『ヤンデルは球場三食を好きだって言ってるからいいヤツなんだな』って言ってましたよ」

と謎のタレコミを受けたこともある。



そして私はことあるごとに、「仕事が落ち着いたら野球場に行きたい」というおじさんになった。ポッドキャスト「いんよう!」でもときどき口にして、よう先輩から「いっちーはそれほんと言うよね」と笑われていた。ただし札幌ドームがサッカー競技場である以上、私にとっての野球場欲を満たせるのはあくまで内地にあるスタジアムだけであり、なかなかその欲望は果たされないでいたのだが、ここにやってきたのが皆さんご存じエスコンフィールドである。



エスコンフィールドについては、その建設をめぐるあれこれを書いたノンフィクション『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』(鈴木忠平)があまりにすばらしいのでぜひ読んで欲しい。

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鈴木忠平といえば落合博満を書いたノンフィクション『嫌われた監督』や、清原和博のルポである『虚空の人』で今や時代を代表するスポーツノンフィクションライターであるが、本書を読んだ「本の雑誌」のスタッフが、『鈴木忠平は沢木耕太郎の再来だ』と発言するほどで、私はいくらなんでもそれはないだろうと高をくくって読んだのだが読了後には確かに再来だと納得してしまった。

ただ、まあ、その、本で読んだからどうこうというのではなくて、エスコンはいい。私は2度ほど見に行ったのだがあそこにはまさにボールパークとしての雰囲気がある。確かに「野球場」なのだ。いやー長かった。私が欲望をぶつける場所にたどり着くまでに、四半世紀もかかってしまった。来季は仕事を減らしてシーズンチケットを取る。