2023年8月29日火曜日

通勤3時間

羽田空港6:25発の新千歳空港行き(ANA)に乗り、千歳からJRを乗り継ぐとだいたい9:05くらいには職場(札幌駅のひとつとなり)に着く。定時は8:30始業なので、すこしだけ遅刻することになってしまうから、このパターンで出勤するときには午前中に半休をとる。半休をとったからにはお昼までのんびりしてもいいのだけれど、そも、朝イチで東京から帰ってくるような旅程のときにはメールの返事が溜まっているので、さっさと出勤して、午前中いっぱいかけて各方面に「返信が遅くなってごめんね」の一報を入れて回る。

この出勤、そろそろやめたい。理由は簡単だ。疲れるからである。そりゃそうだ。6:25発の飛行機に乗るからには、もろもろの準備を考えると前日はよる9:00にはスヤスヤ寝ておくべきだろう。しかし、そうまでして東京に行くようなケースの場合はたいてい夜中まで激論やら日本酒やらを交わしていたりして、寝るのは結局1時過ぎくらいになる。目を閉じて開けたらじゃんじゃんアラーム。とびおきてシャワーをあびて、前日にコンビニで買っておいたパンを食って弱めの血圧の薬を一錠飲んで、歯磨きまでしたら髪もろくに乾かさずに移動して空港ロビーをずんずん歩く。雲上ではひたすら追加の睡眠、JRの中でも睡眠、そうやって失った安息をちょっとでも取り戻してようやく元気に診断の場に帰ってこれる……元気ではない。元気なわけがない。

これはいわゆる過剰労働とかにあたるのかというと、まあそういう見方もあるとは思うんだけど、若いときのぼくがこういうやり方をしていた理由は別にボスからそうしろと言われたとか、そうしないと仕事が回らないからだとか、医療業界の闇に染まっているからだといった話「ではなかった」気がする。人より多くやりとげないと自分がここにいる意味が無い、という脅迫のような観念にずっととりつかれていた。やりたくてやっていたことと言うとまたちょっとズレるのだけれど、「そうでもしないとあとでチヤホヤされないじゃん」みたいな感覚ではなかったかと思う。狂ったようにギターの練習をするとか朝までかかってゼルダをやりこむとかいうのと似ていた。自分こそは過剰な負荷をかけても生き延びれるはずだという希望なくしてチャレンジなんてできないと考えていた。

「そこまでしなくてもわりと頼りになる人間になれるんだよ」というメッセージを、若い人たちにどう伝えていくか。たぶんだけど、ぼくは何もしなくていい。そもそも若手を「育てる」という考え方自体がおこがましいのだ。若者はかってに育つのである。我々ができることはせいぜい「よくない見本」としてそびえ立つことくらいか。夜討ち朝駆けでモーレツに働いた結果、この程度のところにしかいないんですよぼかぁ、真似したいですか? やめときなァ。眠気覚ましにブログかかないと指がかたまってうまく動かない中年になっちまうんだぜ。誰もこんなオッサンを目指そうとは思わないか。