2023年4月28日金曜日
DIPが腱鞘炎
2023年4月27日木曜日
病理の話(771) アンクラシファイドファイヤ
2023年4月26日水曜日
肝銘を受ける
出張先で爪切りを買った。キータッチのときに爪が引っかかるのがいやで、普段からこまめに切っている。爪のメンテナンスについては、元をたどると子どもの頃に呼んだ「エルマー」か何かのなかに、「指というのはもっとも相手に近づく場所なのだからきれいにしておかなければいけない」という一文を見つけたことが大きい。それ以来、なるべく爪を伸ばさず、人を傷つけないようにしようと肝に銘じている。
「肝に銘じる」んだなあ。脳とか心に銘じるわけではないのだ。なぜ肝なんだろう。腹部を損傷して死亡したときにまろび出てくるからか? 脳は頭蓋骨に、心臓は肋骨に覆われていてうまく出てこないから……。いや、肝臓だって靱帯に支えられているからそう簡単には出てこないはずである。
「胴体を袈裟斬りにしたときによく見えるから」みたいなざんこくな理由ではなくてもう少ししっくりくる理由があるはずなのだ。なぜ肝なのか。肝心、とか、肝腎、とか、あるいはキモなどと呼ばれるが、昔の人からするとやはり肝臓というのは「心が入っているわけではないのだがなんかめちゃくちゃ重要な場所なのだろう」ということを思わせる臓器だったわけだ。鉄分の含有量が大きくてしっかり詰まっているから、いかにも何か強い仕事をしている臓器に見えたということだろうか。それとも、馬や豚などのキモを焼いて食べると滋養によいということが薬膳的に知られていたからなのだろうか。それにしても「銘じる」とはどういうことか? この言葉はほかには墓碑銘とか刀剣に名前を彫るという意味でしか目にする機会がない。肝臓の表面に何かを刻印する? そんなことがイメージ的にあり得るのだろうか?
逆に考えると体の中でひとつ「何かの銘を刻む」臓器を探すとしたらたしかに肝臓が一番よいのかもしれない。腎臓は後腹膜に包まれていて見るのがむずかしいし、胃や腸はふにゃふにゃしていて何かを書き込める気がしない。脾臓も表面はわりとシワシワだ。肝臓だけがつるっとして、つやっとして、彫刻刀でなにかを彫り入れても大丈夫そうなイメージがあるにはある。
もしくは……肝臓にはときどき肋骨の痕がへこんで残ることがある。コルセット・リバーと言って、コルセットのようなもので長く体を締め付けていた人、あるいはそもそも痩せ型の人は、肝臓が肋骨に長時間押さえつけられることで表面に溝状のくぼみができてしまうのだ(健康に悪影響はない)。あるいはそういうのを目にした人が、「肝臓にはなにか、人生が刻印されているのだなあ」と感じた可能性もある。
と、ここまで書いて、そういえばググってないなと思っていくつか調べてみたけれどパシッとはまるエピソードなどは見られなかった。唯一、「古今集(?)には銘肝という言葉がある」というくだりを見つけた。「此琵琶の秘曲を銘肝し侍る」……でもこれでもう一度ググってもうまく出てこない。真偽は不明である。
琵琶をかき抱いて弾くとき、琵琶はちょうど肝臓の前にやってくる。ガリガリに老いた僧が琵琶をつま弾きながら衰弱して死んだあと、朽ち果てていくむくろを見た人は肝臓のあたりに何かが刻まれていると想像したのだろうか。
2023年4月25日火曜日
病理の話(770) マンガ家がカメラを教わるのにも近いかと
ぼくの勤める「病理診断科」には、さまざまな研修医が勉強しにやってくる。でも、その多くは、病理医を目指していない。内科や外科など、将来の道は別にあるのだが、研修の過程で病理が役に立つということをわかっていて、あるいは将来、病理医とうまく協力しながら自分の仕事をするために、あえて研修の時期に病理にやってくるのである。
イメージとしては……。プロのサッカー選手になりたい人が、ある時期にストレッチやマッサージのプロに弟子入りする、みたいな感じだろうか。将来、自分の手で人をもみほぐしたいわけではないが、サッカーにおいて傷めやすい筋肉や筋のことを学んだり、より効果的なセルフストレッチのやり方を学んだりできる。それはきっとサッカーを続けていく上で役に立つだろう。将来病理医になるつもりがない人が、病理診断を学ぶというのも、これに近い気がする。
さて、将来病理医になりたいと思ってぼくのところにやってくる初期研修医(医者になって1、2年目の人)は、たとえば3か月とか半年といった、ある程度長いスパンで勉強をすることが多い。人によっては2年の初期研修のうち10か月程度を病理に捧げるツワモノもいるが、逆にほかの領域の勉強がしにくくなるので、まあ平均的には6,7か月くらいが多いと思う。
一方で、消化器内科や血液内科、皮膚科、産婦人科など、病理医以外の科に進みたい人は、ここではせいぜい1か月くらいしか勉強しない。ぼくはそれでいいと思っている。サッカー選手が理学療法士に2年も弟子入りするのはちょっと長いなと思うだろう。本職にするわけではないのだから。そして、1か月で効果的な勉強をするにあたって、何が大事かというと……ぶっちゃけ……「ぼく」が大事だ。
「ぼく」が大事だ(2回言いました)。
より正確にいえば、「指導医の下準備」が欠かせない。たとえば皮膚科医になりたい人が病理に来たら、あらかじめ、「こういう皮膚病の標本を先に見ておけば将来役に立つだろう」というのをぼくが把握しておく必要がある。なにせ1か月しかないから、数年に一度しかお目にかからないような病気に出会うことはめったにない。でも医学の勉強というのは出会う頻度の高い順に学べばいいというものではないのだ。「たまにしか遭遇しないけれど、絶対に知っておいたほうがいい病気」というのがある。そこを指導医が導かないと、自学自習で1か月ではどうにもならない。
たとえば今、ぼくのもとには「来年から血液内科医を目指したい研修医」が来ている。研修の初日に、パソコンで過去の症例を検索する方法を教え、プレパラートの出し方、教科書の使い方を教えた。これで基本的には、自分で興味のある病気について検索をし、プレパラートを出して勉強することができる。ただし、どのような順番で血液の病気を勉強すべきかについては、ある程度ぼくが指示している。ここがたぶんすごく大事なんだと思う。
もっとも順番は強制ではない。これまでの研修の間に自分が担当した症例などに興味があれば、その都度わきみちに逸れてもらうことも自由だ。
毎日、ある程度の頻度でぼくと一緒にプレパラートを見て、ああでもないこうでもないと細胞の見方や臨床のありようについて議論をしていくうち、最初の1週間ではただ言われたままに顕微鏡を覗いていた研修医が、次第に自分の興味をひろげて疑問をもち、ぼくにたずねてきたりするようになる。
こういうことを何年かやっていて最近思うのだが、将来病理医になるつもりがない人に病理を教えるのは、ぼくという病理医にとってめちゃくちゃ勉強になる。病理診断科の立場から見ているプレパラートを、臨床の立場で「並べ替えて」見ていくうちに、疾患同士のつながりが新たに見えてきたり、これまで言語化しきっていなかった病理用語が脳にすっと入ってきたりする。よく言われていることだが、教えることは自分のためにもなる。しかも「病理医を育てればそれだけで十分」ではないようだ。病理にはちょっとしか興味がない、普通の医者になりたいと思っている人に病理を教えることで、確実に何かのスイッチが入りどこかがブーストする。ふしぎなもんだよな。
2023年4月24日月曜日
必死でやってる人たちのために
チェックアウトの時間が正午であった。助かる。今日は午後のイベントに顔を出し、夜の飛行機で札幌に帰る予定で、午前中はなにもせずに休むことにした。とりあえず下のコンビニでジャンプを買ってくる。いったん履いたスラックスをあらためて脱いでベッドに横になる。呪術の設定が初見で頭に入ってくる人ってどれくらいいるんだろう。
病理学会で下関、そこから東京に移動して日本医学会総会の博覧会。土日を挟んでの4泊5日、こんなに職場を空けたのは主任部長になって以来はじめてのことだ。ウェブで確認できないアドレスのメールがおそらく溜まっているだろう。明日のことは明日考える。今は黙ってジャンプを読む。昨日買ってきたオーザックが口内炎を刺す。
医学会総会の広報を手伝ってくれたドクターの一人はこう言った。「医者たちが必死でやってるのを見ていると、なんとか助けてやらないとな、って思うんですよ」。見返りのない利他の理由をたずねると、「どうせ我々医者なんてものは、ひとりじゃ何もできない。もっとしんどい働き方をしている他科の医者、メディカルスタッフ、そういう人たちがおぜん立てした場所でかろうじて働かせてもらっているだけなわけです。そんな自分に対して引け目みたいなものが常にある。そして誰かが困っていそうだったらそこを助けにいく」
自分が「あっ、今、感じ入ったな、俺」と思ったとき、心がけていることがある。相手のセリフに応答する自分のセリフをなるべく減らすということ。勝手に要約しない。会話の流れを自分中心にしない。感動したならひたすら受け止める。NHKのインタビューがそういう形式になっていることが多い。相手が何かをしゃべったあと、アナウンサーやインタビュアーはうなずくばかりでコメントをつけ足さない。民放ではこういうやり方はまず見ない。インタビュー企画の場合、最後は必ず見目麗しいアナウンサーや視聴率を持っている芸人が一言よけいなことを言ってそのコーナーが終わるようになっている。ぼくはあれがうっすら下品だと感じるようになっている。
今回の宿は秋葉原にとった。昼飯を食おうと検索すると「昭和食堂」というのが出てきて、まあ近いからここでいいかと向かってみると店の外に行列ができている。並んでまで食おうと思わずきびすを返し、ホテルに戻る道すがら、居酒屋のランチ営業の看板を見つけてそこに入る。すぐに入れる。生姜焼き定食をご飯少なめで。野菜がだいぶたくさん盛られている。マヨネーズ要りませんと言っておけばよかったなと少し思う。あっという間に食う。居酒屋のランチが結局のところ安牌なんだよなという思いを新たにする。ホテルに戻ったらチェックアウトの時間を少し過ぎていた。従業員に詫びながらトランクを引く。これから信頼できる仲間たちが運営するイベント。マルキューブのオープンステージには俳優の宮地真緒さんが登壇する。ウィズニュースの水野編集長とNHKのフジマッツ。医者ふたり。それを見届けてから札幌に帰る。このイベントを単発で終わらせないためにはどうしたらいいかと頭をひねる。必死でやってくれている人たちのために何かできないだろうかということを意識してずっと考えていく。