2023年4月21日金曜日

病理の話(769) 語るように見る

病理医が顕微鏡で細胞をみて何をするかというと、それはもちろん(?)、「病理診断」をする。細胞の様子から病名をつけたり、その病気がどれだけ進行しているかをおしはかったりするのだ。

この説明はぼくも、いろんなところで何百回もやってきた。しかし、こないだふと、「そういえばぼくらは顕微鏡をみるときに診断以外のこともしているなあ」と思いついた。

たとえばぼくらがケガをすると、血が出て、かさぶたができて、傷口の部分に肉が再生して、最終的にかさぶたがはがれて「なおる」のだけれど、ケガが大きいとキズの部分が「ひきつれ」を起こすことがあるだろう。このひきつれた部分を顕微鏡で観察すると、線維とよばれるものが増えていることがわかる。ひきつれるなんて迷惑だ、と思うかもしれないが、人体にとってみれば、大きすぎる「ヒフの穴」は埋めるのが大変なので、周囲の肉を寄せて隙間を埋めることは目的にかなっている。

今の、「線維が増えている」というのは、何か病名をつけたわけではなくて、「そこで何が起こっているか」を説明したものだ。とても広い意味ではこれも病理診断に含んでもいいかもしれないけれど、病名Aとか病名Bといった「分類」とは違って、具体的に人体の細胞がどうはたらいているかを描写しているのである。

で、病理医はこの、「何が起こっているかを描写」する仕事をけっこうやっている。


たとえば我々は、昔ある部位に出血があったことを「痕跡」から見抜くことができる。血が出ると、赤血球の中に含まれているヘモグロビンというタンパク質が出血部に漏れ出すのだが、このヘモグロビンには鉄分が含まれており(だから貧血というと鉄のサプリを飲まされるわけだ)、鉄分は出血のあとで組織のあちこちに溜まる。したがって、顕微鏡で細胞を見ているときに、どこかに鉄成分が見つかったら昔そこには出血があったのだということがわかる。

さらに、鉄成分といっしょに新鮮な赤血球も見えたら何を考えるか?

「昔出血していた証拠がある」+「今まさに出血している(出血なう)」=くり返し出血するような病態が隠れている

ここまで考えると、少しずつ「病理診断」に近づく。なんらかの病気がひそんでいるのではないかということだからだ。




ツイッターの合言葉といえば「いまどうしてる?」であるが、病理医が顕微鏡で細胞をみるとき、そこから得られる情報というのは、「いまなにしてた?」であるし、「昔なにしてた?」でもある。我々が病理診断レポートに「病名」だけを書くのを仕事にしていたら、あるいはAIによって我々の仕事は減ったかもしれない。しかし、状態をしらべて過去に何が起こったかを予測し、主治医とコミュニケーションを取りながら病気のメカニズムを解明していくという過程において、AIができることはあまりにも無力だ。「組織所見から文章を生成できるんですよ」? いやいや……そんな「これまでの病理報告書に書かれていた内容の最大公約数」だけで人体の観察を終わらせていいと思ってるなら、それでいいんだけどさ、それって医学の進歩から背を向けるってことですよ。AIにはちゃんと仕事を与えるけれど、AIだけにまかせられるほど病理診断は狭い仕事ではない。