2023年4月19日水曜日

病理の話(768) ネガで見るみたいな話

皮膚とか粘膜の表面には細胞がみっちりと並んでいる。これらの細胞はどれもこれも生きているから、酸素や栄養を必要とする。

ではそのような酸素や栄養はどこからやってくるかというと、当然のことながら血液が運んでくるのである。このため人体には心臓という強力なポンプがあり、体のすみずみにまで血管を張り巡らせて酸素や栄養を行き渡らせるのだ。

我々が住む家やマンションに、ライフラインとしての水道や電気が張り巡らされているのと似ている。

ただ、電線と血管が違うところがひとつある。電線は家の中にまで突き刺さって入り込んでいくが、血管は細胞の中を貫通することはない。

イメージとしては、毛細血管が道路。道路にはタクシー(赤血球)やウーバーイーツの自転車(一部のタンパク質)が走っており、タクシーや自転車からときおり人(酸素や栄養)が降りて、道沿いの家やマンションや店(各種の細胞)に入っていくかんじだ。



そのままイメージをふくらませてみよう。

ぼくらは、「道」の地図をみるだけで、なんとなく家の建ち方を想像することができる。あとえば、京都や札幌のような碁盤の目の街並みでは、道と道の間にどのようなサイズで建物が建っているかわかる。



規則正しい道の中に、突然がばっと道のないスペースがあらわれたら、そこには学校や病院、ショッピングモール、ときには植物園などの「でかい敷地を必要とするなにか」があるはずだ。


で、これと同じことを、医者は病気のカタチを見極めるときにやっている。




俗に「胃カメラ」と呼ばれる検査がある。口から細い筒状のスコープを飲み込んで(途中、喉を通るときには医者や看護師から「ごっくん、ってしてください」と指示をされるので、例え話ではなく本当に飲み込む)、胃の検査を行う。このとき、胃だけではなくノドや食道の検査にも用いる。なにせ通り道だからね。


食道の表面は重層扁平上皮とよばれる細胞によって覆われている。重層、すなわち地層のように折り重なった細胞であり、食べ物などが一日に何度も食道を通過しても、食道の壁に穴があかない。かなり防御力の強い細胞だ。

で、この、防御力の強さゆえ……胃カメラで表面を見ても、なんだかのっぺりと硬そうで、異常があるのかないのか判断するのがけっこう難しい。

そこで医者が用いるのが、「建物ではなく道路を見る」という手段である。建物、すなわち細胞を見るのではなく、建物と建物のすきまを走行している血管をあえて見るのだ。

血管の中には血球が通過しており、特に「赤血球」はその名のとおり赤い。そこで、胃カメラのレンズのところに特殊なフィルターを用意して、「赤い血球が詰まっている構造物を強調する」という処理をかける。すると、血管走行だけが浮き彫りになってよく見えるようになる。

血管はあくまで酸素や栄養を運ぶためのインフラだ。しかし、重層扁平上皮細胞になんらかの異常が生じて、形が変わっている場合には、側を走る血管の走行も乱れる。これによって間接的に細胞の挙動をおしはかろうというテクいやりかたなのである。



そんなまどろっこしいことをしなくても、細胞を直で見る方法はないの? と思われるかもしれない。あるにはあるのだ。しかし、これはまあなんというか、技術のあやというか、たまたまというか、つまりは偶然なのだと思うのだけれど、今ある技術の中ではなぜか血管を見ることで間接的に細胞の挙動をしらべるのがかなりキレ味鋭い。なんで? と言われても……うーん……グーグルマップでも道を強調した画像のほうが見やすいからみんなそっちを使うでしょ? 縁辺がシャープなほうがいいんじゃないかなあ。



ちなみに顕微鏡を用いた病理診断では、血管を見て細胞を予測することはしない。だって細胞が直接見えるからね。