2023年4月5日水曜日

病理の話(763) きれいな写真を撮ったところで

意図を理解しないままにまずはスタイルだけを真似する、という初学者のムーブを、わりと応援している。「なぜその動きが必要なのかはわからないけれど、とりあえずかっこいいから真似しました」というやつだ。野球、サッカー、あらゆるスポーツで、小学生や中学生に頻繁にみられる現象である。


WBCでも有名になった元オリックス・現レッドソックスの吉田正尚は、スイングのあとに非常に大きなフォロースルーをとる。あれがかっこいいと思って小学生は真似をする。ただし、振り切ったあとにバットから片手を離すだけでよいバッティングができるわけではない。スイングの最中に回転モーメントを最も効率的に進行させるべく、上肢、体幹、下肢すべての動きが「となりのパートと連動するように」動いていることこそが重要であって、てきとうにスイングしたあとに片手を離すだけでボールがよく飛ぶということではない。


同様のことはイチロー(初期~中期)の振り子打法、さらには古くは王貞治の一本足打法などにも言えることである。ガワだけ真似してもすぐに打てるようにはならない。しかし、ガワから入ってその競技をやっている最中の自分を好きになり、動きや形状の合理性を理解するための第一歩を踏みしめることには大きな意味があるだろう。


ひるがえって病理診断である。報告書を記す際、自分がビビッと来る上司・先輩の文章を真似するところからはじめる。顕微鏡写真(顕微鏡でのぞいたミクロの様子を撮影したもの)の撮り方についても、まずは見よう見まねだ。ひとつひとつの文言、あるいは写真1枚の構図・画角について、深い意図のすべてを察することなくまずは形態的に模倣することが病理学を修める第一歩かな、と思っている。


昔は病理学の勉強といえばもっぱら「模写」であった。もっとも、ぼくはこの細胞像をスケッチするという医学部のカリキュラムにはあまり効果がないと思っている。画力というファクターが人によって違いすぎて、本来たどり着くべき「いかに勘所を押さえて(デフォルメも含めて)描くか」を達成できる人の数が少なすぎるからだ。全員が全員、教育や指導の奥底にある深いものに触れられるわけではない。

絵心のない医学生でも、知識があれば教授が喜ぶイラストを描けるというのは一種のファンタジーである。実際のところ、細胞像をイラスト化するにあたって、形態学的な要点を掴むスピードは画力の高さに比例する(つまり普通の絵がうまい人はやっぱり学術的な絵のセンスも高いということ)。

時間ばかりかかる「細胞像のスケッチ」よりも、写真を撮らせればいいのにな、と思うことがある。機材の数的に難しかったのは昔の話だ、今はiPadを使って授業をやることも多いし、QRコードを用意してスマホでスクショさせればよいのだからあえて医学生に色鉛筆を用いさせる意味もない。顕微鏡画像のどこが大事なのかを考えてもらい、ここぞという「診断に関しての決定的な画角」をスクショしてもらって提出させればいい。もちろん、最初は医学生もよくわからずに写真を撮るだろうし、最後まで病理学の意味に触れないまま単位を取って去っていく者も多いだろうが、子どもがプロスポーツ選手のガワをモノマネすることから始めるのとおなじように、プロ病理医のガワを真似てもらえばよいのではないかと思う。



ところで、ツイッターを見ていると、まれに、とっくに現場で働いているはずの中年病理医が、いまだに「ガワ」だけ真似して撮った写真をツイートして素人にチヤホヤされているのを見ることがある。切り出しの割線を提示しない実体顕微鏡写真と組織像を並列で提示してなんの意味がある? NBI画像と比べるでもなくただホルマリン固定後の標本の血管像だけを提示して何を示したいのか? 「なぜそのスタイルで写真を用意するのか」の意味をまったくおさえずに、「映え」だけを狙った写真を投稿して承認欲求を満たそうとしていることがバレバレである。しかもそのような「病理診断的クオリティのない写真」に、専門外の医者が「とてもきれいな写真ですね! 病理医がこんなにきれいな写真を撮ってくれるとうれしいです」などと言っていいねをつけていたりするからさらに驚く。草野球で振り子打法を真似てカッコつけるのはいいとして、「私はイチロー並みの打撃センスがあります」とうそぶくのは飲み会のネタだけにしておいてほしいし、「今日河川敷でプロ野球選手を見たんだよ」と吹聴するのもエイプリルフールだけにしてほしい。