2017年1月12日木曜日

開くも明けもはかなくも こうかいの果てまで

このブログは掲載日の1週間くらい前に原案を書き終えてある。約7日間寝かせたあとで、早朝にさっと読み返して、ブログの「公開」ボタンを押している。

このタイムラグのせいか、ブログを書いたときと公開するタイミングとで、気持ちが少し変わってしまっていることがある。

そういうことがあるだろう、ということはわかっていた。だから、最初から、

「今考えていることは、ずっとこの先も考えていることだろうか」

「今書いたことは来週も普遍的に読めるものだろうか」

という疑問をアタマに浮かべながら書くことにしたけれど、ま、もちろん、考えたところで、来週の自分の気持ちを予言するなどという、器用な真似はできない。

たいてい、書いた時よりも更新するときのほうが冷静になっている。ああ、ここまで熱く語るほどでも無かったなあ、と思ったときには、多少訂正してやろうかと身構える。けれど、たいてい、結局そのまま、送信してしまう。

1週間のブランクでアタマを整理したのなら、自分の文章を冷静に読めるようになったのなら、多少なりとも校正すればいいのかもしれないが、あまり直しを入れていない。

誤字すら放置していることもある(これはうっかりだ)。

直しを入れないのがいいのか悪いのかはわからないが、代わりに、「わずか1週間前の自分に違和感を持つ」という体験を、少し大切にしてみようか、などと思った。


***


先日、「趣味がないということ」を扱ったブログを書いた。公開するまでのタイムラグの間に、ツイッターのタイムラインにちょうど、趣味の話が踊った。

うーむ。

まさに、30代とか40代の男性は、新しい事を始めるハードルが高い。ある程度金銭を使うことについては、若い頃ほど抵抗はないのだけれど、あまりに高度なことを修得するのは今更という気がする。だから、簡単に始められるわりには奥が深い、みたいな趣味を求めている……。

そんな意味のツイートを見ながら、そうだ、そうだと、納得をした。

そして、思い出した。この話、ブログに書いたばかりだな、もうすぐ公開じゃないか。

公開するのは、ちょうど明日だ。どうしよう。年明けに見たツイートを使って、もう少し「うまく」書き直すか……。

「うまく」書けば読者が読みやすいし、読んでからの充実感も大きいんだから、何かを書くんならうまく書くにこしたことはないけどなあ。




うまく書く、というのはどういうことかなあ。

勢いにまかせてふわふわと組み立てたブログの文章を、外からの知恵を組み入れることで、「より完成品に近づける」みたいなことなのかなあ。

そしたら、1週間前に、何かに突き動かされて書いていたときのぼくの考えは、不完全だった、ということなのかなあ。

あのときのぼくは、何があって、どういうきっかけで、あんな文章を書こうと思ったんだったかなあ……。



そんなことを考えながら、結局、何も手を加えずに、公開ボタンを押した。

今回、この記事を公開するにあたり、2箇所ほど、「後悔」という誤字を訂正したのだが、果たしてこの訂正も、正しい直しだったのかどうか、少し疑問に思い始めている。