なんだろう、咬筋(こうきん)でも痛めたのかなあと思った。あるいは親知らずだろうか。
せっかくの年末年始の食い物も、いまいち楽しめないときがあった(でも結局は食べたが)。
こういう話をすると、知人には、
「いいねえそういうときお医者さんは、自分で診断できるもんな」
などとうらやましがられる。
いや、申し訳ないが、何がどうしてどのように痛いのか、その理屈とかメカニズムとか、もっといえば、診断名とかはどうでもいいので、とにかくこの痛みをなんとかしてくれ、という気持ちにしかならない。
医療とは診断ではないのだ。治療なのだな。
そう思った。
「痛みをとれるのかとれないのか、とれないとしたらどういうように『逃げれば』、あるいは『やりすごせば』いいのか、それを教えてくれ。診断名はどうでもいい。今後の見通しをくれ」
そう思ってしまった。
実は、ま、自分でやってみたんですよ。OPQRSTメソッドに沿って、診断を。医療者ってたいていこういうことするんじゃねぇかな。自分が調子悪いときには。
O(onset): 痛みは急に訪れたように思われる。
P(paliattive, provocative): じっとしていると大丈夫。ものを噛み始めると痛い。食事の最後のほうはなんだかそこまで気にならない。ものを噛まずに顎だけうごかしても痛みはあるがそれほどたいしたことはない。
Q(quality): ずきん、ずきん、虫歯になった歯茎をおしたときのような、神経に触れているかのような痛み? でも筋肉痛に近い痛みともいえる。なんとも表現しがたい
R(region/radiation): 痛みと関係あるのかないのか、ものを噛む時には近くにある臼歯のかみ合わせがすこしあっていないようなイメージがある
S(symptom): 実は反対側の歯茎からも血が出ている気がするがよくわからない
T(time course): 1週間あまり変化していないが最初の方が痛かった気もする
だからなんなの。アセスメントしたから、それがなんなの。
親知らずが生えてきたか、臼歯の治療後の場所に嚢胞でもできたか、あるいは咬筋でも痛めたか、顔面神経あたりに何か触れてるか、そういうことでしょ。それはわかったよ。
でも、結局、いずれ歯医者か口腔外科に行くよ。
治療できないんだもん、自分で。
痛み止めでがまんしてていい類のものかどうか、もう少し様子を見てからにするけど……。
日ごろ、さまざまな勉強をし、診療現場のいろいろな人々と会い、それこそ、多くの仕事風景を見ている。
医療を支える三本柱とは、
・診断
・治療
・維持
であり、このどれもが医療には欠かせない。すべてにおいてプロフェッショナルが必要だ。
そして、患者からの大きな期待と感謝を一身に受けるのは、あれだな、治療だな。
治療が8割だ。で、残りは、維持。
診断には、感謝できねぇわ、普通の患者であれば。
「あなたは○○癌という、やや珍しい癌です」
って言われて、「すごい、そんな難しい診断を! ありがとうございます!」なんて握手してくれる患者は、ま、いないわ。
そうだよなー。
だったら、「診断」に特化した部門ってのは、内輪で感謝しあわないと、割に合わないよなあー。
だって、医療者って、多かれ少なかれ、
「自分の仕事の安定と、収入と、世間的な価値の高さ、そして感謝」
によって働いてるもん。
でもね、「診断部門」って、これ、感謝できねぇわ……。されねぇわ。
そんなことを思いながら、こういうこと言うと、「わかってる」みたいな人がよってきて、
「いえ、私は、診断に感謝してますよ。だって、正しい診断がないと、正しい治療ができないんですから」
みたいなことを言って、瀬戸内寂聴さんみたいな顔をして去っていくんだけど、ま、ありがたい話ですけど、その気遣い、結局、治療ありきですよね、とか、思ってしまう。
つまりは、診断って、「感謝されること」っていうモチベーションを最上位に掲げている限りは、満足できない仕事なのかもしれないなあ。
じゃあ、ぼくは、普段、何をモチベーションにして、働いているんだっけかなあ。
そんなことを、痛い顎をさすりながら考えていた。