2017年1月13日金曜日

病理の話(37) たかがライブラされどライブラ

たとえば、「手術で採ってきた胃にある、がん」を詳しく調べようと思ったら、どのように調べればよいか。

胃の中に、3×2 cmくらいの大きさの、ひらべったい、お皿のようなカタチの、周りが少し盛り上がっていて、中が少しへこんでいるような、がんがあるとする。

このがんを調べるというのは、どういうことか。

・どんな細胞からできあがっていて、
・なぜここに出現したのか。
・どういう性質があって、
・周りをどのように壊しているのか。

いろいろと知りたい事はあるけれど、一番知りたいのは、

「このがんは、手術で採る事で、治ったと言えるのか」

ということだ。

もう少し詳しく書くならば、

「がんは手術で採っても再発することがある、というが、『この胃がん』に関しては、具体的にどうなのか。

今回のこの人の、このお皿のようなカタチの胃がんは、再発するのか。しないのか。

するとしたら、どれくらいの確率で、再発するのか。

再発したら、どういう治療が有効なのか。」

こういうことを、知りたい。

医療者は、このような質問に答えるためのヒントを求めて、病理報告書を読むのである。



間違ってはいけない。

胃がんの細胞を、顕微鏡でみたときに、核がどういうカタチをしているとか、細胞質がどういう色合いであるとか、核分裂がどれくらいあるかとか、免疫染色で何が染まるかとか、そういったことをいくら書いたところで、

「で、それが何なの?」

と言われてしまっては、じっくり調べた意味がない。病理医が、それぞれ思い思いに、自分の見えたものを好き勝手に記載するようでは、困るのである。

だから、病理報告書には、ある程度決まった項目を、ある程度決まった書式で、書く必要がある。

その項目というのは、ドラクエにたとえるならば、「こうげき」とか「ぼうぎょ」「すばやさ」「かしこさ」みたいに、あたかもがん細胞の「ステータス」のように見える。

・深達度 pT3(SS)
・間質量 int
・浸潤様式 INFb
・リンパ管侵襲 ly0
・静脈侵襲 v0

病理報告書に書いてあるこれらの「ステータス」は、すべて、

「今後、この患者さんはどうなるだろうと予測できるの?」

という質問に答えるための値だ。

臨床医をはじめとする多くの医療者は、このステータスを読んでがんを読み解こうとする。ステータスがそれぞれどのような意味を持つのかは、過去に、多くの医療者たちが積み立てた研究結果によって示されたものだ。病理医が、胸先三寸で、

「なんだかこのがん、悪そうなんですよ。すぐ再発してくるかもしれないです」

みたいに、直感だけで語るのとはワケが違う。




……以上が、患者さんから「病理医とは何をする仕事なの?」という質問を受けたときに答えればいい内容だろう、と、思っている。

病理医は、病気を分類して、ステータスを表示させる仕事をする。

FFにたとえるなら、「ライブラ」みたいなものだ。相手のステータスを表示させる、だけの仕事。

いずれ、AIに取って代わられるのではないか、などと言われる。



ただ、おもしろいことに、この「たかがライブラ」は、人間の欲求のひとつを激しく満たす。

その欲求とは、「自分が関わったモノは、すべて知りたい」という欲である。

「なぜこのようなカタチをしているのか」

「どうしてこのような未来が予想できるのか」

「いかにしてここにたどり着いたのか」

すべてが、ステータスの奥に、静かに待っている。

探求欲。知的好奇心とも呼ぶ。



ぼくらが働いていて、もっとも患者の役に立っているだろうなあと実感するのは、ステータスを正確に高速表示できた瞬間である。

そして、医療者の役に立っているだろうなあと実感するのは、ステータスそのものよりも、ステータスの向こうに潜む、キャラクタの「性格」とか、「背景」とか、いわゆるストーリーと言われるものまでを表示するときだ。

マリオRPGでたとえるなら、「なにかんがえてるの」であろうか。MOTHER2でたとえるならば、「テレパシー」? ドラクエでたとえるならば、うーん、「モンスター物語」。

ステータスを厳密に与えるのはとても大切な仕事だけれど、できればストーリーを編んで語ることまで、ぼくらはやっていいのだろうと思っている。たかがライブラ、されどライブラ。

もっとも、10年や20年の修行で、ライブラが使えるようになるのかどうかは、また別の話なのだが……。