いざ、PCを前にして、ようしPCだから文章の入れ替えも簡単だし全体を俯瞰しながらバランスをとるのもラクだぞ、さあ書くぞ! と、書いてみて、いまいちで、全部消してしまう、ということが、よくある。
スマホでさくさく書いた記事のほうが、あとあとまで印象に残ったりもする。
スマホでも書けそうだなと思った記事、というのは、すでに頭の中で完成しているのだろう。だから、インターフェースがスマホのフリックであっても、さほど気にならずにすいすい書けてしまう。
一方、PCじゃないと厳しいなと思った記事は、頭の中でもやもやと散乱しているものをうまく集め切れていない、まだまとまりきっていない。文章をとっかえひっかえ、あちらをいじりこちらに付け足し、とやっているうちに、なんだか着地点がわからなくなってくる。
だから、スマホの記事の方が、おさまりがいいのだろう。
さて、ぼくは今、PCを使った記事を、今までよりももう少し大事にしようと思い始めた。
まとまりきっていない内容を、なんとかカタチにすることは、すでに頭の中で落ち着いてしまった観念をただ出力するのとはひと味違った喜びがあるのではないか、と。
病理に興味のある人間のために書いている「病理の話」シリーズは、大半スマホで書いている。きちんとまとまった内容を世に出して、病理のことを考えてもらうのは、うれしい。病理医になってからずっと考えていたことばかりだから、ネタには不自由しない。ネタも、オチも、困ってはいない。
で、それとは別に、病理の話の箸休めとして書いているこの「ノンジャンル」の方は、スマホで頭からただ出力するのではなく、もやもやした不定形な思考を、なんとか人が読める程度の話に整形して書くようにしたいと思い、なるべくスマホではなく、PCで書くようにしている。
なぜ、病理の話と、病理じゃない話を、交互に書くのですか? と聞かれても、なんかそのほうがいいんじゃないかなあと思ったから、としか言えなかった。けれど、思った以上に合理的だった。
人間、おそらく誰もが、まとまった話と、まとまっていない話を、両方話したがっているのではないかと思うのだ。ぼくも、そうだ。